原点 ── 慶應のゼミ合宿で、「一本釣り」された
銀行員になりたいわけでは、なかった。
もともとはやっぱりその当時、不況の業界に行って、その産業を立て直すみたいなことをしたいなと思ってたんですね。
慶應義塾大学のゼミに在籍していた 4 年生の夏、合宿に面白い OB が訪ねてきた。それが、当時の三和銀行のリクルーターだった。安永さんは、そこで「一本釣り」される。
学生時代から、君、銀行に向いてるじゃないか、そういう方針じゃない。変わった人をいろいろ混ぜて採用するというのが、当時の三和銀行の方針でしたね。だから、変な奴が多かったですね。
普通、銀行員には「役所みたいに、きっちりしている」というイメージがある。安永さんはそれを笑って否定した。
それは一部の銀行です。三和銀行は違います。三和銀行は、何するか分かんない銀行です。
成績証明書を見ずに人を採る。リスクが大きくても、人々がやっていないことを真っ先にやる。それを支援する気風があった。「変な人を集めて、何かしよう」──松下幸之助の発想と、根が同じだったと安永さんは言う。
「まず、手を動かせ」── 大阪商人と松下幸之助の共通点
新入社員の頃に教え込まれたのが、大阪商人の根本思想だった。
「水が流れるように手が動いてれば、お金も流れてくる」というのが、大阪商人の根本思想なんです。
説得し、納得し、理解してから動く──そういう順序ではない。順序は逆だ。
こんなことは非合理だと、僕が言い出すから、まずやれ、と。手を動かせ、と。水が流れるように手が動いてれば、お金も流れてくる。
これは奇しくも、松下政経塾で金子が日々若い塾生たちに伝えている言葉と同じだった。「手足を使いながら、頭を使え」。順序が逆だ、と。
今の若者は、説得し、納得し、理解しないと、手足が動かない。それと、心理的安全性がないと動かない。何の意味があるんですか、というところから、なんかそんな風に日本はなっていて。だからイノベーションがなくなっているんじゃないかと。
制度の問題ではない。まず動く人がいないと、何も変わらない。安永さんはここで、自分が銀行で叩き込まれた哲学が、今の日本に最も足りないものだと、はっきり言い切った。
銀行が沈むのが、見えてしまった
三和銀行は、UFJ 銀行になる前に、いずれどこかと合併するか、潰れるか──そう判断した安永さんは、UFJ 銀行になる前に銀行を辞めた。
私は企画部とかにもいましたから、実体のバランスシートとかも、よく分かってたし。あそことあそことあそこがポンっていったら、もう全然債務超過になる、ってのは誰でも分かる理屈なんですね。
三和銀行は本来、東海銀行・朝日銀行と 3 行で合併する計画だった。3 つなら何とかなる。しかし、直前で朝日が逃げた。残された三和と東海では、バランスシート上、生き残れない。
普通、大きな船に乗ったら、なかなか自分で独立しようという人が少ないんですよね。
しかし、と安永さんは続ける。
乗った船に穴が開いてて、漏水してたら──泥船までいかないけど、水が漏れていて、沈む可能性が高いと思ったら、他の船の方に行こうとするじゃないですか。
これが安永さんという人物の本質を最初に表した瞬間だった。多くの人が見ようとしない現実を、彼は見ていた。そして、見たから動いた。
澱のように溜まった、後ろめたさ
50 歳で僧侶になった。── これも、計算ずくの選択ではなかった。
やっぱり銀行時代に、澱のように溜まっていた後ろめたさ。自分が一生懸命仕事をやればやるほど、それは銀行のためにはもちろんなるんだけど、なんかお客さんのため、一般世間のため、何よりも自分のためになってないんじゃないか。
特に海外勤務から帰国して銀行で過ごした 7 年間は、不良資産処理ばかり。前向きな仕事ができなかった。
外資系コンサルに転じた後、週末は様々な自己啓発セミナーや心理学の学校に通った。その一つが、仏教を学ぶ 3 年制の通信教育だった。
どうせやるんなら、一番難しいコースがいいだろうと思って、僧侶になるためのコースに入ったんですね。
最初は得度するつもりはなかった。けれど、毎月 2 回、築地本願寺で行われるスクーリングに通ううち、勉強仲間ができた。彼らがみんな得度すると言い始め、お姉さん格の女性に「あんたも得度しなきゃダメよ」と言われ、「分かりました」と答えた。
そうして 50 歳、安永さんは丸坊主になった。仏教の道に入ったのは、意志でなく、流れだった。
平日はコンサル、週末は副住職
得度した直後、丸坊主の頭で帝国ホテルの中をぶらぶら歩いていたら、先輩に捕まった。
お前、得度したんだったら、うちの寺、手伝いに来い。
その先輩は、東京・三田の宝徳寺(ほうとくじ)の住職の息子だった。彼自身は原子力技術者で、絶対に寺は継がないと言っていた。父の代わりに継いでくれ、と頼まれ、安永さんは引き受けた。
こうして 3 年半、二重生活が始まる。平日は帝国ホテルの中の事務所でコンサルタント。週末は宝徳寺で副住職。檀家が亡くなれば、お通夜は安永さんが行く。葬式は平日なので他の僧侶に頼む──そんな日々だった。
仏教を学んでも、銀行時代の心の澱は消えなかった。安永さんは正直にそう語る。
結局わかったのは、仏教を勉強したから心の澱が消えるわけじゃないんですよ。
しかし、得たものはそれよりずっと大きかった。
本当のお坊さんになって、現実にお通夜をしたり、ご法事をしたりして、ご遺族の人と対話が生じるじゃないですか。それに対して、何とかしないといけないでしょ。それを仏教者としてどう寄り添うのかっていうのを実践していく過程が、やっぱり良かったですね。
ご遺族の人を癒すことにもなるし、自分も癒されるんですよ。
期待していた答え(心の安らぎ)は、来なかった。代わりに、期待していなかった答え(他者を支えることで自分が支えられる)が、来た。
築地本願寺 ──「外部から」呼ばれた経営者
寺の世界に深く入っていくと、安永さんは「インサイダー」になっていった。
2012 年、浄土真宗本願寺派は機構改革を行い、ガバナンス強化のため社外取締役を設けた。安永さんは、京都の宗派本部および築地本願寺の社外取締役に就任した。
もう一人の社外取締役と 2 人で、これやったらひどいね、と。経営の中身がね。何にも戦略もなければ、バランスシートも考えなければ、収益はそんなものを考える必要なんかありません、みたいな組織が成り立ってるってことは、持たないんじゃないですか、と。
人口減少と高齢化のダブルパンチが寺院を襲うことは、誰の目にも明らかだった。地方の寺は困窮していた。それでも本部は何もしない。
ガンガン言った。さすがに先方も「言われたらそうかな」と動き始める。新しい門主、新しい総長が就任し、10 年計画を策定することになった。そして 2015 年──。
お前がいろいろ言ったんだから、お前がやってくれ、と。
61 歳で、築地本願寺の代表役員 宗務長に就任。寺院出身者以外から抜擢される、極めて異例の人事だった。
経営改革に取り組み、結果は数字に表れた。門信徒数の増加。参拝者数の増加。赤字から黒字への転換。
反対は、もうだって、成功してるものを反対しても意味がないでしょ。だからみんな、俺は最初から賛成だった、って言うわけですよ。
この経験はその後、京都の西本願寺の代表役員 執行長(2022 年〜)へと繋がっていく。本山の改革は 1 期 2 年で退任することになるが、寺院経営に経営学の視点を持ち込んだ「外部出身者」の足跡は、大きく残った。
8 割は反対する。それでも、小さく始める
経営コンサルタントとして、僧侶として、寺院経営トップとして、長年現場に立ってきた安永さんが、変革を志す人たちに繰り返し語ることがある。
まずは、現状を客観的に受け入れる。
これが、すべての出発点だ。
寺が潰れそうになっている。みんな見たくないんですよ。一般の会社の経営でも、外側から見るとあの会社やばいなと思っても、中にいる人たちはみんな安穏として、あと 5 年 10 年は大丈夫だってみんな思ってる。
そして、もう一つ。
8 割の人は、改革に反対します。
8 割。だからこそ、最初から大きく動こうとしてはいけない。
よくしようと、まず決断したら、小さなものでもいいから、まず実行する。実行して結果が出たら、よかったよね、と。また次行く。そういうステップ・バイ・ステップが大事なんじゃないかな。
小さな改革から、小さな成功へ。賛同者が増える。気づいたときには、「俺は最初から賛成だった」という人で溢れている。
そして、組織を変える前に、自分を変える。
自分の悪いところも受け入れる、治しができると、組織のところもだんだん同じようにできるようになりますよね。
僕だって、こんなに太ってるはずじゃないって思ってても、頭の中ではスリムかもしれないけど、現実は太ってるわけですよ──そう笑った安永さんの言葉に、川越が頷いた。
受け入れるって、素直、ということですね。
そう、素直。素直に見たらいいんだけど、みんな素直じゃない。
71 歳の今も、教育者として、コンサルタントとして、企業顧問として、安永さんは変革を志す人を支え続けている。引退はない、死ぬまで働く──それが、銀行員から始まった長い旅の、現在地である。
VOICES
名言
水が流れるように手が動いてれば、お金も流れてくる。
澱のように溜まっていた、後ろめたさ。
8 割の人は、改革に反対します。
自分の悪いところも受け入れる、治しができると、組織もだんだん同じようにできるようになる。
VOICE BEHIND THE VOICE
安永さんの原音
対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。
見たくないものを、見る
乗った船に穴が開いてて、漏水してたら──水が漏れていて、沈む可能性が高いと思ったら、他の船の方に行こうとするじゃないですか。
──三和銀行が沈むのを見て辞めた話。寺院が潰れていくのを見て改革を提言した話。自分が太っているのを認めなければ痩せられないという話。安永さんの語りに繰り返し現れるのは、見たくない現実から目を逸らさないという素朴な姿勢だ。これは才能でも勇気でもなく、習慣に近い何かなのだと思う。素直であること、と本人は言う。
後ろめたさは、消えなかった
結局わかったのは、仏教を勉強したから心の澱が消えるわけじゃないんですよ。
──50 歳で僧侶になった理由を語る場面で、安永さんは正直すぎる事実を述べた。仏教を学んでも、銀行時代の後ろめたさは消えなかったのだと。けれど、そこで彼が手にしたのは「期待していたもの」ではなく「期待していなかったもの」だった。ご遺族と対話することで、自分が癒される。多くの人は、求めていたものが見つからなければ「失敗」と判断する。安永さんは、求めていなかったものを見つけて「成功」とした。
8 割は反対する、それでも始める
基本的に変わることは嫌だから、人間 8 割の人はまず反対します。
──変革を志す人へのアドバイスは、極めて実務的だ。全員を説得してから動くな。8 割は最初から反対だから、説得は不可能。小さく始めて、結果を出して見せろ。築地本願寺で安永さんが実際に行ったのは、まさにこの方法論だった。改装、収益改善、参拝者増加──結果が出てしまえば、反対していた 8 割は静かに「俺は最初から賛成だった」へと変わる。
CLOSING
明日への誓い
こうしてお話をさせていただいていると、改めて自分で気がつくことがあります。それは、人が変わっていく、自分が変わっていく、組織が変わっていく、社会が変わっていく──そういうのを心から支援したい、ということです。
私はグロービスというビジネススクールで 22 年も教えてきました。「何かをしたい、何かを変えたい、何かを生み出したい」と思う方々に、スキルを与え、考え方を与え、やり方を教え、そして精神的に支援する。そんな仕事をやっていると、生きていてよかったな、と思います。
71 歳の今、あと何年貢献できるかは分かりません。けれど、私自身は引退はない、死ぬまで働く、と決めています。
自分を変え、組織を変え、社会を変えたいと思っている人を、思いっきり、精神的にもスキル的にも支援していきたい。教育者としても、経営コンサルタントとしても、企業顧問・アドバイザーとしても、活動を続けていきます。
変革は、一口で言っても難しい。けれど、必ずできる。この大きな時代の変革期の中では、変わっていかなければ、もう生き残れません。それは個人だろうが、会社だろうが、社会だろうが、国だろうが、同じです。できるだけ長く、皆さんと一緒にサバイバルできるように、頑張りたいと思います。
私の明日への誓いを、ここで終わらせていただきます。