社名の three jobs は、3 つの仕事という意味ではない。

人には3つの役割があるっていうふうに考えています

仕事人としての自分。家族の一員としての自分。そして自分自身。この 3 つのバランスが取れていると人生は豊かになる、という考え方から付けた名前である。

もっとも事業のほうも 3 つある。睡眠(講演・研修・商品監修)、企業の広報 PR 支援、そして自身のメソッドを継承する協会の運営。

運動に、お金を出す意味が分からなかった

出発点は、まったく別の場所にあった。

美術系の専門学校を出てグラフィックデザイナーになった。ちょうど版下が DTP に変わり、インターネットが出てきた時代である。3 年ほど働き、結婚を機にやめて、

バリバリの専業主婦になるつもりだった

運動には興味がなかった。

お金出して運動なんて何でするのと言っていた

それが変わったのが、妊娠中に勧められたマタニティビクスだった。

体重が増えすぎると妊娠中毒症のリスクがあり、産道にも脂肪がつきやすくなってお産が大変になる。だから動いたほうがいい、と指導された。

実際に行ってみると、初級のエアロビクスと同じだった。かかとをお尻につけて、もう少しジャンプして──それを、明日が予定日という大きなお腹の妊婦と並んでやる。

最初は 15 分でついていけなくなった。だが体調が良くなり、楽しくなり、少し先を行く母親たちから情報ももらえた。

そこからのめり込んでいった

それまでは、と問われて答えは率直だった。不調のデパートだった、と。

筋肉痛で、40 度

独学が続く。妹がアロマテラピーの検定を取った際に解剖学が出てきて、面白いと思って一緒に勉強した。体が硬いとエアロビクスで怪我をすると言われ、ストレッチも独学で始めた。

そしてヨガのワークショップに出る。何も知らずに申し込んだそれが、ヨガの先生たちが出るクラスだった。

前屈と言われても分からない完全な素人が一人だけ紛れ込んだ形である。

翌日、筋肉痛で 40 度の熱が出た。人生で 2 度目の経験だったという(1 度目は学生時代、スキー場の頂上で板の履き方だけ教わって放り出された翌日)。

そこから傾倒し、海外の指導者のワールドツアーにも参加するようになる。英語は分からないので、先生の言う英語をカタカナで書き取り、夜に調べた。

ペルビスと聞いても骨盤とは結びつかない。まったく違うカタカナで書き取っているからである。

教えるのも勉強になる、と言われてヨガのクラスを持ち、同時に区の親子体操の指導者にも拾われた。真っピンクのジャージで、2〜4 歳の親子と体育館を走り回る。

それで人生は行くのだ、と思っていた。

子どもを抱えて、国家資格

離婚が転機になった。

グラフィックに戻るか、ヨガと親子体操で行くか。そのときに、理学療法士という職業を知る。ひとり親が再び学ぶための制度に、その職種が入っていたのである。

海外のヨガの現場には理学療法士が多くいた。あの先生にできるなら自分にもできるかしら──そんな軽いノリで、子どもを抱えて養成校に通い、国家資格を取って病院に入職した。

ところが病院が合わなかった。リハビリ室にも上下関係の空気があり、自由にやってきた身には窮屈だった。自由にやらせてくれる職場は、労働環境の厳しいところが多かった。

結果が出せても、心はそこになかった。理学療法士がライスワークになっていった

そこで、外へ外へと手を伸ばす。朝は子育てをして体操を教え、汗のまま病院へ駆け込み、夜は不動産投資を見て回る(千三つ、1000 件見て 3 件あればいい、と教わった)。着物の世界にものめり込んだ。

ミスコンが、変えた

2018 年、「人生が変わるかもしれない」という言葉に誘われて参加したのが、

アメリカのミスコン世界大会だった。

中身を知らずに動いた。蓋を開けたらミスコンで、美からは程遠い生活をしていた本人は面食らう。メイクの講習に、日焼け止めと眉を描くものだけをポケットに入れて出席し、

メイク道具を忘れてきたんですかと言われた。

ヒールでは立てない。歩行指導はできても、見せる歩き方はできない。誰も日本代表になるとは思っていなかったところからのスタートだった。

それが、行ってみると水が合った。日本にいるときよりずっと楽だったという。

審査の基準が違ったからである。日本では容姿やプロポーションが大きいが、この大会では社会貢献の比重が高く、美の要素は 2 割ほど。1 週間ほど共同生活をする中で、何を考えているか、どんな態度かが評価に反映される。

実際、子どもたちのためのクイーンという建て付けがあり、ボランティアにも参加した。

そこで思ったことが、独立につながる。

理学療法士を腰掛けでやっていても、誰の助けにもならない

翌 2019 年に本を出し、病院を飛び出した。

英語については、今も「まったくできない」と言う。

私あの英語は全くできませんので

スピーチのときはマイクを持つ指のところにカタカナを書いた。翌年に再訪した際、母が作ったアクセサリーを渡そうとして「マイ・マザー・イズ・ホビー」と言った。文法はめちゃくちゃである。

だが通じた。そして返ってきたのは、

1 年でそんなに英語をやってきたのね、素晴らしい、という言葉だった。

100% できないと動けないという日本的な感覚との違いを、そこで見た。

5 冊出したら、プロ

本を出す経緯も独特だった。

ミスコンの体験を本にしたいと思い、帰国後にネットで検索して一番上に出てきた出版のスクールに、これでいいやと決めて通い始めた。

そこで言われたのが、ミスコンの話は酒の肴としては面白いが本にはならない、体の本を書きなさいということだった。そして、

5 冊出したらその道のプロと思われる

だから目標は 5 冊になり、1 冊目を出す時点で 4 冊分が決まっていた。

書く中身の作り方も指導された。メソッドそのものではなく、どういう悩みの人がここを通ると、どう変化するかというコンテンツを作れ、と。200 も 300 も作った。

その中で引っかかったのが「睡眠」だった。だから睡眠の本が出て、睡眠の専門家というブランディングになった。ひょうたんから駒である。

中身は理学療法士としての実務から来ていた。手を入れすぎると患者が依存してしまうので、慢性疾患の人には宿題を出し、自分の体は自分で治そうというやり方に切り替えていた。

発育発達の原理に基づく 3 ステップで、最初は毛布を丸めてその上に寝るだけ。それで姿勢が変わり、腰や肩の痛みが取れる。

すると患者から、こう言われるようになった。昼寝の前にこれをやるとよく眠れる。眠剤が減ってきた。腰が痛くないから出かけて散歩する。だんだん調子がよくなる。

そこで「睡眠だ」と気づいた。

中途覚醒という、正体

睡眠についての説明は、専門家らしく具体的だった。

年齢を重ねると、若い頃のようなレム・ノンレムの波形ではなくなる。深い眠りが減り、そこに中途覚醒が増える。

浅い眠りというより、目はつぶっているがほぼ起きている状態である。本来は寝入りと目覚めにしかないはずのものが、途中に何度も出てくる。

だから匂いや物音で目が覚め、トイレに起きる。浅く感じる。

では放っておいていいのか。日中に支障がなければ問題ないとされる。ただし、

睡眠の問題は多くの病気の前駆症状に入っている

理学療法士の国家試験でも、基礎医学で「この疾患に睡眠の症状があるか」を問われる。ないものを覚えたほうが早いほど、多くの疾患に含まれているという。だから心配なら病院で検査を、と。

そして原因は 2 つしかない、と整理された。ひとつは病気。もうひとつは生活習慣である。

私たちは便利と引き換えに動かない生活を手に入れたんです

体はもともと動くようにできているのに、動かない生活を手に入れ、不調という代償を手にした。生活習慣病もメタボリックシンドロームも、その延長線上に睡眠の問題がある。

勧められた運動は、意外にも軽いものだった。ウォーキング、そしてラジオ体操

しかも場所まで指定がある。神社や公園でやっている集まりに行けばいい。そうすれば「あの人来ないけど大丈夫かしら」と気にかけてもらえるし、挨拶をする。

人間は社会性の生き物だから、そこでコミュニケーションが取れるのがいい、と。

経営者が、広報を分かっていない

事業の 3 本目が、広報 PR 支援である。

きっかけは講演だった。経営者向けに睡眠の話をすると、人的資本経営や健康経営の話になる。いいことをやっている会社は多い。だが「広報していますか」と聞くと、

うちは BtoB だから広告は要らないと返ってくる。

広報 PR(パブリックリレーションズ)は公衆との良い関係を作る施策なのに、広告と混同されている

一方で、自身の広報 PR を独学でやるうちに広報担当者と親しくなり、相談を受けるようになった。経営者は分かってくれない、という声である。

きっとこれは経営者が広報を分かっていないんだ

独立した広報担当者たちも、結局はメディア露出の仕事しかお金にならない。その現実も見えた。だから彼女たちの力を使いたいと思ってサービスを立ち上げた。

実例が痛烈だった。メディアには数多く出ているのに結果につながらない、という相談があった。聞いてみると、

ビジネスマン向けの健康商材を扱う会社が、女性誌や主婦向け雑誌に出続けていた

露出はしているので、問題として認識されていなかったのである。当の本人たちは大真面目に悩んでいた。

まず、言語化する

支援の第一歩は、外向けの施策ではない。

その企業の情報を全部洗い出して すべてを言語化するところからです

広報でいうファクトブックを作ってもらう。これがないと、戦略も語れないし、「うちはこういう会社です」も言えない。

社長と、広報担当者あるいはその予備軍でチームを作り、全員で言語化して一つにまとめる。そこからしか始まらない、と。

なお、独立時にはホームページも自分で作った。WordPress が何かも知らないところからである。業者に頼むという発想すら知らなかった、と笑って明かされた。

VOICES

名言

お金出して運動なんて何でするのと言っていた
私たちは便利と引き換えに動かない生活を手に入れたんです
きっとこれは経営者が広報を分かっていないんだ
その企業の情報を全部洗い出して すべてを言語化するところからです

VOICE BEHIND THE VOICE

矢間さんの原音

対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。

便利と引き換えに

私たちは便利と引き換えに動かない生活を手に入れたんです

──現代の睡眠問題の原因は 2 つしかない、という整理の中で出てきた言葉である。ひとつは病気。もうひとつが生活習慣で、その根にあるのがこれだった。体はもともと動くようにできているのに、動かない生活を手に入れて不調という代償を得た。

処方は意外なほど軽い。ジムで追い込むのではなく、ウォーキングやラジオ体操を生活に組み込む。しかも神社や公園でやっている集まりに行けばいい。人間は社会性の生き物なので、そこで挨拶が生まれ、来ない人を気にかけてもらえることまで含めて効く、と。

この視点は自身の体験から来ている。かつては「お金を出して運動なんて何でするの」と言い、本人いわく不調のデパートだった。妊娠中に勧められたマタニティビクスで変わり、そこからヨガ、そして理学療法士の国家資格へと進んだ。

まず、言語化する

その企業の情報を全部洗い出して すべてを言語化するところからです

──広報 PR 支援で最初にやることである。広報でいうファクトブック(事実の書)を作ってもらう。これがないと戦略も語れず、「うちはこういう会社です」も言えなくなる。

背景には、経営者側の誤解があった。広報 PR は公衆との良い関係を作る施策なのに、広告と混同されている。BtoB だから広告は要らない、という返答が典型例である。

露出の量だけを見ていると何が起きるか。実例として、ビジネスマン向けの健康商材を扱う会社が女性誌や主婦向け雑誌に出続けていたケースが挙げられた。メディアには出ているので問題と認識されず、当の本人たちは大真面目に「結果が出ない」と悩んでいた。外に出す前に、中を整理するというのが、この支援の順序だった。

CLOSING

明日への誓い

株式会社three jobs 代表の矢間あやです。

私たち three jobs は、人には 3 つの役割があると考えています。それは仕事人としての自分、家族の一員としての自分、そして自分自身。その 3 つの役割を大切にすることで、人生はもっと豊かに、楽しくなると信じています。

私自身、元気な人を増やし、挑戦する人を増やすことで豊かな未来を作る、という理念のもと、理学療法士から睡眠の専門家として活動を始めました。

また、知識ゼロから自身の広報 PR を行い、多くの悩みを聞くうちに、経営者様が広報 PR を理解されていないと知ります。広報 PR というとメディアに出ることや SNS 運用が注目されがちですが、本来はパブリックリレーションズ、企業と社会との良い関係づくりが本質です。

これからの時代、すべてのステークホルダーとの良い関係を構築することは、企業の経営の大きな鍵となります。そのためには、人的資本経営や健康経営といった、人の力を最大限に発揮できる環境づくりが欠かせません。そして企業の理念を明確にして、それをしっかり伝え、社内外に浸透させることは、人的資本経営や健康経営を成功させるためにも不可欠だと考えています。

私たち three jobs は、睡眠事業と広報 PR 事業を通じて、皆様が 3 つの役割をもっと楽しめるような、そして 100 年後も愛され続ける企業を作るお手伝いをしています。