収録の直前まで、フィリピンのマニラと、ラオスのビエンチャン、ルアンパバーンに出張していたという。
そのグローバル教育の入り口は、本人いわく 17 歳にある。しかも、そこに至るまでは正反対だった。
神戸に生まれ、東京に引っ越してきた。中学から入った学校は、小学校からみんな英語を勉強しているところだった。追いつけないし、そもそも興味がない。日本人は日本語を喋っていればいいし、海外に興味がないのだから英語を喋る必要もない。ずっとそう思って生きていた。
ところが 17 歳のとき、母親が特別な誕生日プレゼントだと言って、あるものを渡してくる。夏休みに一人で 3 週間、スイスの国際平和会議に出る権利だった。
大人が出る、国際 NGO 主催の会議である。日本語は通じない。サンキューとアイム・ソーリーしか言えない状態で、一人で参加させられた。
ボランティア枠だったので、毎日 300 人分のオムレツを焼いた。手伝いをたくさんしながら、少しだけ後ろのほうで大人たちの会議を見せてもらう。そういう 3 週間である。
集まっていたのは、世界中の NGO のリーダー、ビジネスリーダー、政治家。話しているのは、環境問題、差別、紛争。今でいう SDGs のような話題だった。
もちろん英語は分からない。紙の辞書を手で引きながら、エンバイロメント、環境っぽいぞ。貧困の話をしているっぽいぞ。その程度である。それでも、大人たちが毎日本気で対話している姿に、3 週間ずっと感動していた。
何言ってんの
最終日、3 週間ボランティアでいたのだから感想を言えと主催者に言われた。10 人か 15 人ほどのグループの前である。
17 歳の彼女が、心の底から思ったことを準備して伝えた。世界の人たちが平和のために話し合っているこの場は、本当に素晴らしいと思います。こういう場が、これからもずっと続いてほしいと思います。
すると、目の前に座っていた高齢の女性が、震え出した。そして、ものすごい大きな声で怒鳴りつけてきた。
何か変なことを言っただろうか、と思っていると、その人はもう一度大きな声で言った。
こういう場は続いて欲しいじゃなくて、あなたが続けていくんでしょって。
その人が誰であるかを知ったのは、帰国して本を読んでからだった。相馬雪香氏。日本で初めて NGO をつくった人で、難民を助ける会の創設者。尾崎行雄の娘である。
命をかけて平和な世界をつくり、国際社会での日本の在り方を高めることに人生をかけた人だった。その人の前で、17 歳が「いいですね、ずっと続いてほしいですね」と言ったのだから、一言一句が引っかかったのだろう、と本人は振り返る。
今も忘れられないくらいのターニングポイントでした
稼いでは、使い切る
そこから、行動が変わった。
英語もできない。世界のことも知らない。海外といえばアメリカくらいだと思っていたら、世界中でいろんなことが起きていて、いろんな民族の人たちがいる。それに気づいてしまった。
当時、教育を通して世界を平和にすることを、学問の世界ではグローバル教育と呼んでいた。それを極めたいと思い、自分を実験台に、出られる可能性のあるプログラムに片っ端から参加していく。
大学は 1 年休学している。資金は自分で用意した。大学に通いながら、有給のインターンシップとアルバイトをひたすらやり、貯めたお金を夏休みに使い切る。次のタームでまた貯めて、春休みに使い切る。それを繰り返した。
訪れた都市は 100 を超え、本人の感覚では 150 ほどになる。
そのうち 70〜80 都市は、アップウィズピープルというアメリカの国際団体で回った。3〜4 日おきに新しい都市へ行き、その都市でボランティア活動とホームステイをする。少なくとも 70〜80 家庭に泊まった計算になる。
さらに、20 カ国以上から集まった 120 人の仲間とバスに乗って移動しながら、各都市でミュージカルもやる。彼女のグループはカナダとアメリカを縦断・横断し、メキシコを半縦断して、日本に飛んで日本を半縦断した。
英語でも、留学でもない
日本で「グローバル教育」と言うと、英語教育か留学のイメージがつく。ところが、彼女が 17、18 から関わってきたグローバル教育は、それとは関係がないという。学術的にも関係がないし、ヨーロッパのグローバル教育の動きの中でも関係がない。
宇宙から地球を俯瞰する。私たちは地球の一部であり、その一員としてどう生きていくか。それを考えられる、そして行動に移せる人を育てることを、グローバル教育と呼んでいる。育てる対象がグローバルシティズンシップ──地球市民としての意識である。
この言葉は SDGs のターゲットにも登場し、ユネスコも力を入れて広げている。そこでも、語学や海外経験のことではない。自分の足元とつながり、ローカルを大切にしながら、市民としてどう地球社会とつながるかを意識して生きられるかどうかが問われる。
育成には 4 つのステップがある、と説明された。
最初のステップはとにかく自分とつながること。
世界とつながろう、SDGs を考えよう、課題を見つけよう。世の中はすぐそちらへ行きたがる。そうではなく、自分が今何にワクワクし、何にもやもやしているのかを、まず大切にする。
まずは地球とちゃんと足をつけて、自分が何を感じているかから始めて
ステップ 2 が相手とつながること。ステップ 3 が、お互いの志を重ね合わせて新たなものを共に創ること。そしてステップ 4 が、共に創ったものを世の中にギフトする、貢献し参画していくことである。
初めて、自分の声を聞いた
GiFT の海外研修は 10 カ国で行われてきた。フィリピン、マレーシア、インドネシア、タイ、シンガポール、ブータン、カンボジア、ラオス、そしてドイツとエジプトである。
ドイツはコロナ禍から生まれた。渡航ができなくなり、すぐにオンラインへ切り替えた際に、ドイツで活動する日本人の女性起業家と出会った。おむつを土に還す取り組みを開発し、広めている人だった。プログラムのテーマはリジェネラティブ。プラスチックとして最大級のごみになるおむつが、豊かなコミュニティを作る土に変わりうる、という発想である。オンラインでは土を触れないため、前年ドイツに飛んで、実地でもできる準備を進めているところだという。
フィリピンでは、セブを舞台に 10 年続けているプログラムがある。貧困地区に住む子どもたちが、夢を持って未来を作れるようになるワークショップを開発するというものだ。
いきなり作るのではない。そこに住む人たちや現地の学生と対話を重ね、自分たちが本当に届けたいものは何かを、毎日遅くまで話し合う。それを結晶化させたものを、子どもたちに実践する。
毎日、体験学習の振り返りの時間がある。チェックアウトと呼び、全員で円になって、一人ずつ今日何を感じたかを共有する。学んだことではなく、感じたことである。
1 日目は言えない子もいる。感じたことなんて考えたこともないからだ。疲れました、英語ができなくてつらかったです。最初はその程度になる。
ところが 3 日目ごろ、一人の男子学生がこう言った。
僕は初めて自分の声を聞きました
聞いていた辰野さんも、思わず、は、と返したという。自分の声など、いつも聞いているはずである。
彼の説明はこうだった。いつも親には期待されている答えを、先生には正しい答えを返してきた。友達にはたわいもない話しかしてこなかった。フィリピンで貧困層の子どもたちや明るい仲間に出会い、いろんな景色と香りに揺さぶられる中で、自分が本当に何を感じているかが分かった。そこから出てきた声を聞いたとき、初めて自分の声を聞いた、と。
その学生は、事前研修では自分には意味がない、自分は何者か分からない、と言って周囲に心配されていた。そこから変わり、10 年経った今も彼らしく活躍しているという。
社会がどう、就職活動をしなければ、こうあるべき──そうした「ねばならない」の中から、本当は自分はこういうことがしたかったのだ、という声が出てきたときに人生が変わる。そこにつながらないまま世界を良くしよう、平和にしようと言っても、動きにはならない。
先生は、場をつくる
進学したアメリカの大学院は、体験学習サイクルを伝えることで有名なところだった。知識で学ぶのではなく、体験を通して学び、それを言語化して未来に生かす。当時の主流は知識型の教育だったから、かなりユニークだった。
どれくらいユニークかというと、成績がつかない。自分で体験して、自分で評価するからである。自分で企画を立ててコースを作る、ということもあった。それで修士号は出る。
体験そのものは、放っておけばただの刺激と反応で終わる。次の家庭、次の都市、次のカルチャーショック、と流れていくだけになる。そこにリフレクション(振り返り)の時間を確実に置き、仲間と深く話し合い、明日に向けてどう生かすかを何度も繰り返す。そうすることで、すべての体験が自分のものになって言語化されていく。
日本の教育も、詰め込みから、先生がファシリテーターになる方向へ動いてきた。辰野さんは、それを 20 年ほど前に現地で経験していたことになる。
ファシリテーターとは何か。場をつくるプロフェッショナルである。子どもたちが安心して自分の話ができ、意見が言える場を作る。知識はネットでも学べる時代に、その知識をどう生かすか、体験して何を感じたかを、仲間と話し合える場が要る。
設立から 12 年。最初は大学生や高校生を直接海外に連れて行っていた。飛び立て留学 JAPAN の事前事後研修では、3300 人ほどを担当している。今は、そういう場を作りたいという先生が増え、教員向けの研修やプログラム設計の研修が増えた。JICA と一緒に、小学校から高校までの先生の研修も行っている。
子どもが授業でなかなか話さない、という悩みには、大人が何とかしようとするより仲間同士の刺激のほうが強い、という答えだった。本音を話せる安心・安全な場を作ること。そして、ワクワクする問いを投げられるか。
例に挙がったのはラオスだった。中国とラオスが鉄道でつながり、いま発展しようとしている。そこで学生に投げた問いは、発展か持続可能性かではなく、文化を守ることで社会も経済も環境も良くするにはどうするか、というものだった。9 日間、現地の学生と日本から来た学生が一緒に体験を重ねながら考え、最後に現地の著名な社会起業家にプレゼンテーションする。
その社会起業家自身が、そこでずっともやもやしている。観光客が増えるのは嬉しいが、ラオスが大切にしてきた文化や人の良さは下がってしまうかもしれない。仕事の中では立ち止まりにくい問いを、学生たちが引き受ける形になる。
SDGs の、その先
日本の話にもなった。
日本では SDGs が流行語大賞にノミネートされるほど広まった。世界の会議に出ると、日本の認知度の高さは際立つという。学校の授業で当たり前に扱われ、教科書にも載っている。他の国では当たり前ではない。
一方、ヨーロッパの会合でもユネスコの会合でも、グローバル教育の文脈で語られているのは同じことである。地球市民としてどう生きるかは、そのまま SDGs につながる。だから英語も海外も関係なく、ごみを分別する、生活のスタイルを改める──そうした身近なことができていれば、それはグローバル教育の実践だと言える。
SDGs のカードゲームで普及していた 1 年目が、一番面白かったという。子どもたちの反応は「え、当たり前ですよね」だった。何それ、ではない。逆に大企業の人ほど、これをどうビジネスにつなげるのかと頭で考えてしまう。
その感覚は今も続いている。SDGs ネイティブと呼ばれる世代は、それが当たり前の中で価値判断をしている。しかも、家に持ち帰って親に教えるという循環まで起きている。
若者から声を聞いたほうが、よっぽど新しいインスピレーションや発想をもらえるなって、感じたりします。
そして、その先の話が出た。ユネスコが 50 年ぶりに教育の方向性の指針を書き直したのだという。世界中からヒアリングをして全面的に作り変えたもので、新教育勧告と呼ばれる。
辰野さんがそこで気に入っている言葉が、惑星意識だった。
これまでのゴールは人間中心に書かれてきた。惑星意識はそうではない。生物も動物も菌も含めて、私たちはつながっていて、そういうシステムの中にいる存在である。それを教育の中でもっと意識する必要があるだろう、と書かれるようになった。2030 年で区切りを迎える SDGs の、その先が描かれ始めている。
恩送り
最後に、団体名の由来が語られた。
GiFT は、未来に何をギフトできるかという問いから生まれている。私たちは前の世代から、平和な国家も、民主主義の国家も、ギフトされてきた。ならば──
未来の世代から、何をギフトした世代だと言われるんだろうか。
日本語で言えば、恩送りである。スタジオでも、その言葉に落ち着いた。
VOICES
名言
最初のステップはとにかく自分とつながること。
まずは地球とちゃんと足をつけて、自分が何を感じているかから始めて
僕は初めて自分の声を聞きました
未来の世代から、何をギフトした世代だと言われるんだろうか。
VOICE BEHIND THE VOICE
辰野さんの原音
対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。
続いてほしい、ではなく
こういう場は続いて欲しいじゃなくて、あなたが続けていくんでしょって。
──17 歳の夏、スイスの国際平和会議。3 週間のボランティアを終えた最終日に、感想を求められた。世界の人たちが平和のために話し合うこの場は素晴らしい、こういう場がこれからもずっと続いてほしい──心の底からそう言った。
目の前に座っていた高齢の女性が震え出し、大きな声で怒鳴った。何言ってんの、と。そして続いたのが、この言葉だった。主体はあなたなのだ、という指摘である。
その人が誰かを知ったのは、帰国して本を読んでからだった。相馬雪香氏。日本で初めて NGO をつくり、難民を助ける会を創設した人で、尾崎行雄の娘。命をかけて平和な世界をつくることに人生をかけた人の前で、17 歳が「続いてほしいですね」と言ったのである。今も忘れられないターニングポイントだ、と語られた。
初めて、自分の声を聞いた
僕は初めて自分の声を聞きました
──フィリピン・セブでのプログラム。毎日、全員で円になって、今日何を感じたかを一人ずつ共有する時間がある。学んだことではなく、感じたこと。1 日目は言えない学生も多い。
3 日目ごろ、一人の男子学生がこう言った。聞いていた辰野さんも、思わず、は、と返したという。自分の声など、いつも聞いているはずだからである。
彼の説明はこうだった。親には期待されている答えを、先生には正しい答えを返してきた。友達にはたわいもない話しかしてこなかった。 貧困地区の子どもたちや現地の仲間に出会い、景色にも香りにも揺さぶられる中で、自分が本当に何を感じているかが分かった。そこから出てきた声を聞いたとき、初めて自分の声を聞いた、と。事前研修では自分には意味がないと言っていた学生は、そこから変わり、10 年後の今も彼らしく活躍している。
CLOSING
明日への誓い
グローバルシティズンシップで世界をつなぐ。グローバルシティズンシップとは、世界をより良くする志のことです。
地に足をつけ、今に感謝する気持ちとともに、自分の中にある「世界をより良くしたいな、面白くしたいな」という思いとつながり、仲間の志と思いを重ねて、より良い未来をともにつくっていく。そういった場作りを探求し続け、国内外でずっとやり続けたいと思っています。
グローバルシティズンシップが育まれるプログラムは、今後も若者だけではなく社会人にも、世界各地だけではなく国内各地でも開催していきます。志をともにする方々、場にもどんどん出ていきます。
そのために、今の私の課題・テーマは、アンラーニングです。GiFT 設立から 12 年、設立に至るまで何年もグローバル教育に携わり、自分の中での型や思い込みが強くなってきているのを感じています。一方で、プログラムや国際会議、また若者たちと語るたびに、肌感覚で世界の変化・変容を強く感じています。
なので今年は、GiFT の活動を続けつつ MIT のコースに参加し、7 カ国の参加者と世界 4 都市を舞台に、U 理論やデザイン思考を通して、アンラーニングからコ・クリエーション、共に創るところまで向かうプロセスを体験しながら、今の世界を見つめ直していきます。
大切な GiFT の仲間とともに、またご一緒している方々、これから出会う方々、この番組を聞いていらっしゃる皆さまとともに、また新たな視点・在り方で、感謝しながら、ワクワクする未来を共に作っていきます。