原点 ── 数学 100 点、英語 0 点。三菱電機への「飛び込み入社」
理学部化学科出身の男が、なぜ和食店の店主になり、世界初のサングリアを生み出したのか──。瀧永聡さんの異色のキャリアは、入社のエピソードからすでに普通ではなかった。
三菱電機に入る時に、僕は本社に飛び込みをしたんです。
普通なら OB の紹介や指定校推薦を頼るところを、瀧永さんは違った。ラグビー部のアルバイトで丸の内の宅配を回るうちに、「僕にとって一番いい会社だ」と直感した三菱電機に、何のツテもなく直接訪問した。本社の松浦さんという受付の女性に押し戻されたが、瀧永さんは下がらなかった。
嫌です。僕は三菱電機に入りたいんです。
熱意を伝え続け、鎌倉工場の見学を経て、一般試験を受けることになった。結果は──極端だった。
算数は 100 点だったんです。英語は 0 点だったんです。
午後の面接で、課長と部長は呆れた様子で言った。
君ね、よくこの成績で受けたね。
しかし、彼らは数学の才を評価して採用に動いた。実は瀧永さんは、中学受験の段階で受験した 5 校すべての算数で 100 点を取っている。読みながら答えが見える、という人だ。一方で英語は、週 7 時間のカリキュラムで学んだのに英検 4 級に落ちた。才能の偏りが、後の選択を決めていくことになる。
「体で、単位を取りなさい」── 化学科で得た現場主義
数学が突出して得意なら、当然のように数学科に進む──そんなストーリーがあってもよかった。けれど、恩師となる先生は違うことを言った。
君は、体で単位を取りなさい。机の上でカリカリやってたら、ちょっとね、君には向いてないんじゃないの。
実験で単位を取るほうへ行きなさい、という意味だった。瀧永さんは数学科ではなく、化学科に進学する。これが、彼の中に「現場第一」という哲学を決定的に刻むことになる。
机の上で完結する仕事ではなく、実験室で手を動かす仕事。後にこの感覚は、三菱電機での社内システム構築、くら寿司での仕組み化、そして自身の店舗経営、すべてに通底する哲学になる。
三菱電機での仕事を、瀧永さんはこう表現した。
社内の皆様方との血液のような流れ。A で困ってるのを B に、B にあるものを A に。それをシステム構築して改善する。
人と人の間に流れているものを、流れやすくする。それは現場でしか分からない。化学実験室で身に着けた現場主義が、企業の社内システムでもそのまま生きていた。
1995 年、神戸で世界が割れた
人生は、しばしば一度の出来事で決定づけられる。
1995 年 1 月 17 日。瀧永さんは三菱電機の通信業務で、阪神・淡路エリアの板見工場に出張していた。
朝、もう大地が割れる──皆さん地震って言うんですけど、もう「揺れる」って言うんじゃなくて、なんかすごい衝撃があって。朝、その後、窓を開けると、もう神戸の町が燃えてると。
阪神・淡路大震災。瀧永さんがいた建物の窓から見えた景色は、彼の人生観を根底から変えた。
私が見てるそこにまさに亀裂があって、反対側の人たちは大変なことになってると。僕の側は、生き残ってる側だと。
生き残った側にいる──その認識は、若かった瀧永さんに、ある決意を芽生えさせる。
三菱っていう会社で、出世っていう道を取るのではなくて、目の前の人の笑顔のためにできることから、一歩やろう、と。
これが、人生の方向を完全に変えた瞬間である。地震が割ったのは、地面だけではなかった。出世というレールから、目の前の人の笑顔へ。瀧永さんはその年のうちに、三菱電機を辞めた。
くら寿司創業期 ──「換気扇を、拭いてろ」から始まった
価値観が転換した瀧永さんが、次に飛び込んだのは外食産業だった。創業期のくらコーポレーション(現・くら寿司)。理学部化学科出身者が当時の外食業界に転職するのは、極めて稀だった。
当時、スカイラークとかマクドナルドとかでも、大卒の人間はいなくて。PDCA みたいな考え方は、そもそもないわけですよね。根性と経験と下手くそ勝負みたいな、そういう業界でした。
瀧永さんの初日は、想像を超えていた。1995 年 12 月 2 日。配属された深井店で、店長から告げられた最初の仕事は──。
私がいいって言うまで、換気扇を拭いてろ。
駐車場の外で、換気扇を一つ。12 月の冷気の中で。同期の女性は「俺がいいと言うまで包丁を研いでろ」と命じられ、駐車場で包丁を研がされていた。
笑いながら振り返る瀧永さんだが、これが当時の外食業界の現場だった。三菱電機での「血液のような流れ」を作るシステム構築から、駐車場で換気扇を拭く現場へ。それでも、瀧永さんはここに来ることを選んでいた。
くら寿司は当時、町の小さな寿司屋から法人化したばかりだった。瀧永さんはそこから、業務改善、クレーム対応、研修制度、人事制度の仕組み化を担い、組織の骨格を作っていった。現場で換気扇を拭いた人にしか作れない仕組みを、彼は組み上げていった。
上場の日に、株を寄付して、独立した
くら寿司が成長し、いよいよ上場するというタイミングで、瀧永さんは独立を決意した。
普通、ベンチャーで働く意味の一つは、上場時の未公開株が大きな利益を生むことだ。創業メンバーとして 0 期生だった瀧永さんには、それが当然約束されていた。けれど、彼は別の選択をした。
その時の未公開株とかも、全額寄付しちゃって。
同期の仲間からは「お前バカじゃないの」と言われた。それでも瀧永さんは寄付して、独立した。
なぜか──。理由は、彼が向かおうとしていた次の事業の中身にあった。大量生産・フランチャイズ展開・量の追求ではなく、「自分の家族が食べても安心なもの」を、自分の目の届く範囲で提供する小さな店。これがやりたかった。
業界の常識を、瀧永さんはこう批判する。
当時はね、「捨ててる」ことを自慢してたんですよ。1 日に 1000 皿捨ててます、全店でこんだけ捨ててます、だから新鮮さも届けてます、って。
こういうやり方をすれば、それを捨てないで済めば、価格を上げないでも、いいものが提供できる。
東京・二重橋の商工会議所で開かれたプレゼンテーション大会で、彼が書いた事業計画は最優秀賞を受賞した。「捨てない」を起点に、いいものを安く出す──。これが、独立後の経営哲学になった。
25 年間、値上げしていない和食店
川崎市中原区、武蔵中原駅から徒歩 5 分。瀧永さんが営む和食店「天然素材蔵」は、そんな場所にある。元は寿司屋として始まり、近隣の富士通の社員のための寿司定食屋を経て、今は無添加・無保存料の和食を提供する「安心の和食店」となった。
驚くのは、価格設定だ。
25 年間、値上げしてないんですよ。
そして、米。
漫画「美味しんぼ」の第 1 巻、水のくだりの次に「日本で一番美味しいお米」っていうくだりがあるんですけど。その生産者の方から直接、無農薬でお取引している唯一の飲食店なんです。
ミシュランの星を持つ料理人たちが欲しがっても譲ってもらえない米を、瀧永さんは長年、無農薬の取引で取り寄せている。それでいて、値段は据え置いてきた。
安すぎて、よくお店持ってますね、って言われるんですよ。
質と価格のバランスを徹底的に詰めた結果が、この 25 年だった。外食産業の常識から完全に外れた経営を、瀧永さんは続けている。1995 年に神戸で芽生えた「目の前の人の笑顔のために」が、店頭の一杯一杯にそのまま生きている。
世界初「日本式サングリア」── 米麹を、ノンアルコール化する
そして、瀧永さんの活動は店の外へも大きく広がっている。世界初の日本式サングリア「ライスワイン・ノンアルコール・サングリア」の開発である。
サングリアは本来、スペインを中心とするヨーロッパの飲み物で、ワインとフルーツを混ぜて作る。瀧永さんはこれを、米麹で発酵させた日本酒(=ライスワイン)で再現した。しかも──ノンアルコール。
なぜノンアルコールなのか。瀧永さんはラグビー部出身で、スポーツ選手の流儀を知っている。
試合の前日って、飲まないんですよ。ラグビーワールドカップでも、オーストラリア選手・ニュージーランド選手でさえ、レセプションで炭酸水を飲んでいる。
しかしパーティーの場では、「飲めません、ウーロン茶ください」と言うと、雰囲気を壊してしまう。「豪快に飲む人が偉い」という日本の風潮を、瀧永さんは変えたかった。「飲まないけど、本気で会話に参加できる」飲み物を作りたかったのである。
技術的には、米麹の日本酒(ドブロク)に別の菌を入れて、菌にアルコールを食べさせる。日本人の発酵技術を使った、二段階の発酵プロセスである。さらに、米とフルーツの相性の悪さを、昆布や鰹節の旨味で橋渡しする。これが、世界初の日本式サングリアの製法だ。
ChatGPT や Gemini で検索しても、確かに「世界初」と出てくる。
日本酒のような繊細さは、中華に負けてしまうんだけれども、これは中華によく合うワインだ。
香港の総領事館の方からの感想だ。日本国内ではふるさと納税(三重県名張市・島根県増田市・川崎市)、ジェトロ経由でのヨーロッパ展開も進んでいる。
そして、瀧永さんはサングリア事業と並行して、寿司文化の体験イベントも主催している。
お寿司を食べる時、海外の方は誰と食べたか、どんな体験をしたか、どういう思い出と一緒になっているか、それがすごく大事なんです。
旅先で何時間も並んで食べるだけでは、もったいない──そう瀧永さんは語る。インバウンドと貿易は表と裏。海外の方が日本でお寿司を作る体験をして、お土産として日本式サングリアを持ち帰る。後日、自国で「これ、どこで買えるの?」となった時、ふるさと納税や百貨店経由で購入できる流通網が、すでに整備されている。
食を「事象」ではなく「物語」として届ける──。これが瀧永さんの食文化発信の本質である。
VOICES
名言
君は、体で単位を取りなさい。
目の前の人の、笑顔のためにできることから、一歩やろう。
当時はね、「捨ててる」ことを自慢してたんですよ。
食は命そのもの、言葉は人生そのもの。
VOICE BEHIND THE VOICE
瀧永さんの原音
対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。
1995 年、世界が割れた日
私が見てるそこにまさに亀裂があって、反対側の人たちは大変なことになってると。僕の側は、生き残ってる側だと。
──地震が割ったのは、地面だけではなかった。瀧永さんは「生き残った側にいる」という事実を、人生の方向転換に使った。多くの人は、被災地のニュースを見て募金をするか、合掌するかで終わる。瀧永さんは、自分の人生そのものを、目の前の人の笑顔に使うと決めた。1995 年の決断が、30 年後の世界初サングリアに直結している。
「捨てない」というやり方で、業界に異を唱える
1 日に 1000 皿捨ててます、全店でこんだけ捨ててます、って自慢してた。
──業界の常識を、瀧永さんは正面から否定した。これは経営合理性の話ではない。世界観の話だ。量と速度を競う業界に、彼は質と継続を持ち込んだ。25 年間値上げしない店、美味しんぼの米、そしてノンアルコール化する手間を惜しまないサングリア──すべて、「捨てない」哲学の派生形である。
食は、物語である
お寿司を食べる時、海外の方は誰と食べたか、どんな体験をしたか、どういう思い出と一緒になっているか、それがすごく大事なんです。
──寿司は、食ではない。物語の媒介である。瀧永さんがインバウンドの体験イベントを開き、ふるさと納税で海外までサングリアを届ける戦略は、すべて「食を物語として渡す」という発想に貫かれている。AI 時代になればなるほど、人は物理的な体験を求める。お母さんの作る温かいご飯と、世界初の日本式サングリアは、瀧永さんの中で同じものを意味している。
CLOSING
明日への誓い
ラジオをお聞きの皆様。
前回の放送で、私は「世界へ、明日へと羽ばたく若者たちへのエール」というお話をさせていただきました。今回私は、食というのは命そのもの、言葉というのは人生そのもの、というお話をさせてください。
ソバーキュリアン(Sober Curious)という言葉があります。なぜこの商品が、これからの世界に必要なのか。AI の時代がどんなに進んでも、人は食べないと生きていけません。
ただ、私たち人間は、生きていれさえすれば良いという生き物ではない。断じて、そういう生き物ではないと、私は思います。
その証拠に、生きるためなら、餌を食べるだけでも生きていけます。誰かの意思によって作られた飯を食べさせられても、生きていくことはできる。けれど、お母さんが作った温かいご飯を食べることによって、心が豊かになり、食卓に思い出と笑顔が生まれる。そんなご飯もスマホを見ながら食事をしたら、お母さんはどんな気持ちになるでしょうか。
暖かいものは、暖かいうちに食べる。冷たいものは、冷たいうちに食べる。そんな些細なことの積み重ね。人間としての尊厳を大切にしている人には、周りの人間も敬意を払ってくれます。
食事をするときは一人ではなく、誰かと会話をしながら、できれば体験や思い出と一緒に、作り手の気持ちなども汲み取ってください。その広がりこそが、皆様一人一人の人生の広がりに直結します。
このラジオを聴いてくださっている皆様の人生が豊かになり、周りの方々へ伝播していくことを、ぜひ体感していただきたい。私自身が、その先頭に立つことを、今ここに決意表明いたします。
本日はご視聴ありがとうございました。