原点 ── 「拒否権は、ない」
川瀬電気工業所は、製造業の工場内の建築電気やプラントの電気設備工事を主力とする、電気設備工事の専門会社である。年商はおよそ 70 億〜80 億円、社員は派遣を含めて 170 名ほど。来年、創業 80 周年を迎える。
その社長である鈴田さんの名字は、社名と違う。
私、名字違うんですけども、母方の祖父が創業した会社なんですね。
両親からは、家業はいとこが継ぐのだから、就職先として考えるなと言われて育った。だから大学を出た鈴田さんが選んだのは、建設業とはまったく縁のない商社、トラスコ中山だった。
10 年近くが経った 2007 年。いとこが退社し、後継者がいなくなった。当時の社長だった叔父から、声がかかる。
ちなみに拒否権あるって聞いたら、ないって言われたので。ほぼ命令だった感じではありますけどもね。
笑って振り返るこの一言から、鈴田さんの経営者人生は始まった。
「ここで社長は、難しい」── 商社で見つめた自分の現在地
トラスコ中山での日々は、楽しかった。同期にも上司にも恵まれ、居心地も良かった。それでも鈴田さんの胸には、学生時代からひとつの志があった。経営者になりたい、という思いである。
入社前、会社から「将来何になりたいか」を書くよう求められた。
社長って書いたんですけど、周りからお前社長無理やろって言われました。
10 年近く在籍し、前後の世代を見渡すと、自分より賢い人がたくさんいた。この会社で社長になるのは難しい──冷静にそう考えていたところに、叔父からの話が来た。業界は畑違い。それでも鈴田さんは「社長になるチャンスだ」と受け止めた。
もうひとつの理由もあった。祖父にも、社長を務めた二人の叔父にも、とても可愛がってもらった。その会社が困っているなら、自分が行くことで手助けができる。悩んだのは、一瞬だったという。
トラスコには私の代わりはできる人はいるんですけど、川瀬電気には、私の代われる人が、能力的って意味じゃなくて、生まれがっていうのが、もう私しかいないな、選択肢がないなっていうふうに思ったんです。
それが自分の役割なのだと、鈴田さんは腹を決めた。
ゆっくり変えれば、気づいたときには変わっている
同族企業に外から入ってきた後継者は、反発を受けやすい。鈴田さんはそれをどう乗り越えたのか。答えの原点は、新卒で配属された水戸営業所にあった。
入社 2 年目に着任した新しい所長は、30 代前半で初めて所長職に就いた人だった。部下のほとんどは、所長より年上。いちばん年下だった鈴田さんは、仕事帰りの酒席で、所長の本音をよく聞く立場になった。所長は、こう語っていたという。
急激に変えると反発が出る。1 年経って、去年とやり方変わったけど今の方が断然いいよねって思われるように、俺は改革をするんだ。
「あなたの目から見て、問題って何があると思う」──所長は若い鈴田さんにも意見を求めた。そして、ゆっくり、ゆっくり職場を変えていった。気づいたときには変わっている。最初は 2 人で飲んでいた席に、共感する人が 3 人、4 人と増えていった。
種明かしを聞きながら、その手腕を間近で見ていた。鈴田さんは今も、この所長を恩人だと語る。
川瀬電気工業所に入ったとき、鈴田さんは嫌われて当然だと覚悟していた。実際、「お前のことよく思ってない奴おるぞ」と耳打ちされたこともある。
まあ、そりゃそうでしょうね。僕だってそうだったらそう思いますもんね。
理想を一気に押し付ければ、「一族というだけで偉そうに」となる。だから現場では、1 年かけてゆっくり変える。いつか自分のやっていることの正しさと、人となりを分かってもらえる日が来ると信じて。
手帳の冒頭に書き続けた、「変えるべきこと」
現場に対しては、ゆっくりと。けれど経営陣に対しては、違った。当時の鈴田さんの役職は課長で、経営会議にも出ていない。それでも社長の甥という立場を生かし、「こうすべきだ」とどんどん提言した。
返ってきたのは、この一言だった。
あなたみたいに建設業の素人が何がわかるんだ。
中身を検討してもらうことすらできない。正しいことを言っていても、実績を積まなければ聞いてもらえない。鈴田さんは、ここは我慢だと決めた。そして、ひとつの習慣を始めた。
年次の手帳の冒頭に、会社が変えるべきことを、わーっと書き出したんです。
1 年では全部は消えない。翌年の手帳には、残った項目だけを書き写す。片付いたものは消す。それを毎年、繰り返した。2013 年 12 月に社長に就任したとき、手帳にはまだ項目が残っていたという。
とにかく自分が問題と思ったら、納得できれば消しますけど、納得できないのであれば、それを解決するためにやり続けるっていうことは、ずっとやってましたね。
時期尚早と見れば待ち、通せるときに通す。けんかをせず、穏便に。社員はその姿を見ていた。全員に好かれているとは思っていない。それでも大部分の社員が自分を信用してくれているのは、あの数年間を見てくれていたからだと、鈴田さんは振り返る。
成長の実感が、人を燃やす
鈴田さんが今、最も情熱を注ぐテーマは「社員のモチベーション」である。その起点も、商社時代の体験にあった。
仕事に慣れてきた頃、会社に行きたくない、何をやってもうまくいかない、という時期があった。マンネリで刺激もない。今思えば、能力がいちばん伸びていなかった時期だ。一方で、何時まで働いても疲れず、早く次をやりたいと思えた時期もあった。その違いは何だったのか。
自分が成長できてるって実感してる時、そういう実感ができてる時って、なんか全然疲れもしないし、早くやりたい、早くやりたいっていう。
だから、と鈴田さんは言い切る。
社員が自分が成長できてるって実感できる場を作ることが経営者の仕事だと思ってるんです。
成長を実感すれば、次も頑張ろうと思える。周りが信頼してくれ、新しい仕事を任される。やれることの幅が広がり、また信頼される。このサイクルが回れば、能力もモチベーションも上がり続ける。マズローの欲求段階説も引きながら、一人ひとりがいまどの段階にいるのかを見極め、次の一歩をどう仕掛けるかを考える。
ただし、社長が一人ひとりに直接働きかけるわけではない。拠点ごとのリーダーから話を聞き、会社として認める方針を示し、現場への働きかけはリーダーに託す。
私は場を作るのが私の仕事だと思っているので。
組織のつくり方も同じ考えに立つ。トップダウンで動かせば、プレイヤーは「上から言われたから」と無責任になりやすい。ボトムアップで「こうしたい」と声が上がるほうが、人の動きはまったく変わる。AI やデジタル関連の売り込みが社長のもとに届いても、鈴田さんはシステムを担う技術の部長に話を回す。彼が良いと判断すれば、経営会議に上がってくるからだ。
私にそのことを言ってきても、私はうーんしか言わんよって。
もっとも、本人は涼しい顔をしない。
これが全てうまく回せたら多分悩んでないので。これがうまく回ってないから悩んでるんですけどね。
「任せた」が「投げられた」になる日
人が何を重視するかは、人によって違う。鈴田さん自身は、人の感情が気になるタイプだ。「お前しか頼れる人間がいないから何とかしてくれ」と言われれば燃える。けれど、スケジュールを細かく示されたほうが動きやすい人もいれば、ゴールだけ示して「やり方は任せる」と言われたほうが燃える人もいる。
自分がうれしい言葉が、相手に響くとは限らない。鈴田さんには、苦い経験がある。
スケジュール通り物事を進めることを重視する人間に、お前に任せたって言ったときに、投げられたって思って腐っちゃったんですよ。
聞き手の金子も、同じ失敗の経験があると深くうなずいた。お互いに期待し、前向きに考えているのに、伝わり方を知らないばかりにエラーが起きる。それをなくしたい──。
そこで導入したのが、脳神経科学に基づいて思考特性・行動特性を分析するツール「エマジェネティックス」である。全社員のプロファイルを取り、定期的にセミナーを重ねて社内に浸透させてきた。
さらに、上司と部下の半期ごとの個人面談では、新しい試みを始めた。上司は「この部下に何を指摘したいか、それをどう伝えるか」を、部下の特性を踏まえて事前に紙に書く。部下もまた、上司の特性を踏まえて「言いたいことをどう伝えるか」を書く。その紙を見ながら、対話をする。
ストレスのかかる仕事を任せなければ、人は成長しない。ただし、任せる以上は、本人が動きやすい環境を整える。伝え方の設計は、そのための土台である。
社長の通知表で、「5」をとる日
鈴田さんには、経営者としての明確なゴールがある。社員の子どもが「入社したい」と言ってくれる会社にすることだ。
社長の通知表があるとすれば、それが 5 だなって思ってて。
お父さん、お母さんと同じ仕事がしたいから、ぜひやりたい──そう言ってもらえる会社にしたい。
採用の環境は、もちろん厳しい。人口が減り、人手不足が叫ばれるなかで、「こういう取り組みを重ねれば、採用には困らなくなるのでは」と水を向けた金子に、鈴田さんは即答した。
世の中そんなに甘くないですよ。
建設業には、いわゆる「2024 年問題」と呼ばれる時間外労働の上限規制が適用されている。鈴田さんは 2007 年の入社時から、労働時間が長すぎると感じていた。商社時代に、夜 8 時に社内ネットワークが自動で「バチン」と切られる働き方改革を経験していたからだ。最初は誰もが「終わるわけがない」と言った。けれど、みんなが知恵を使い始め、やがて 8 時に仕事が終わるようになった。その変化を、鈴田さんは見ていた。
もうひとつの課題が、知名度である。顧客の多くは一部上場の製造業やプラントメーカーで、長年の信頼のもとで仕事を受け続けている。ただ、現場は工場の敷地内が中心で、一般の人の目に触れにくい。それでも、内定を承諾した学生や入社した社員から、うれしい言葉を聞くことがあるという。
説明している方々がものすごく会社を信頼していて好きだっていうのが伝わってきたので、ここで働きたいと思いました。
会社が一方的に発信する宣伝より、社員の姿そのものが最高の採用広報になっている。通知表の「5」に向けて、川瀬電気工業所の挑戦は続く。
VOICES
名言
社員が自分が成長できてるって実感できる場を作ることが経営者の仕事だと思ってるんです。
拒否権あるって聞いたら、ないって言われたので。
社長の通知表があるとすれば、それが 5 だなって思ってて。
人は間違ったことはしない。なので、信頼をするっていうことを大前提で物事を考えてます。
VOICE BEHIND THE VOICE
鈴田さんの原音
対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。
「生まれ」が選んだ、自分の役割
川瀬電気には、私の代われる人が、能力的って意味じゃなくて、生まれがっていうのが、もう私しかいないな、選択肢がないなっていうふうに思ったんです。
──拒否権のない事業承継を、鈴田さんは「運命」とも「犠牲」とも語らなかった。代わりのきく場所を離れ、代わりのいない場所へ行く。それを淡々と「自分の役割」と言い切る。可愛がってくれた祖父と叔父への恩返しと、学生時代からの「経営者になりたい」という志。二つが重なった一瞬の決断が、その後の 20 年近い歩みを支えている。
手帳に残り続けた、宿題
年次の手帳の冒頭に、会社が変えるべきことを、わーっと書き出したんです。
──「建設業の素人が何がわかるんだ」と一蹴された日から、鈴田さんは言い返す代わりに、書き続けた。消せた項目は消し、残った項目は翌年に書き写す。社長に就任した日にも、手帳にはまだ宿題が残っていた。正しさを急いで押し通すより、粘り強く問い続ける姿を見せる。その数年間こそが、社員の信頼という最大の資産を生んだ。
「任せた」の受け取り方は、人の数だけある
スケジュール通り物事を進めることを重視する人間に、お前に任せたって言ったときに、投げられたって思って腐っちゃったんですよ。
──善意で放った「任せた」が、相手には「投げられた」と届く。どちらも悪くない、伝え方の地図を持っていなかっただけだ。この失敗を、鈴田さんは仕組みに変えた。全社員の思考特性を可視化し、上司も部下も「相手に届く言い方」を紙に書いてから向き合う。社員のモチベーションという目に見えないものに、ここまで具体的な手を打つ経営者は多くない。
CLOSING
あの日の、一言
収録の終盤、今日の対話を経て、改めてその言葉を問いかけた。
やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ
話し合い 耳を傾け承認し 任せてやらねば 人は育たず
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず── 山本五十六(上杉鷹山とも)
座右の銘は「人間万事塞翁が馬」だという鈴田さん。大学に入るまでに 3 年かかり、21 歳で入学した。トラスコ中山の同期は 108 人。同期を相手にしていてはだめだ、3 歳上の先輩と同じくらいの仕事をしなければ──劣等感とは違う、その思いが社会人としての原点だった。
入社 6 年目、初めて部下を持った。しかもその部下は、同期だった。
同期で僕、上司部下なんで、やっぱり向こうも気に入らないですよね。
ぶつかってばかりの日々。どうしたらいいのかと悩んでいたとき、本か雑誌で出会ったのが、この言葉だった。
これだと思って。
上司だからと、感情的に言葉をぶつけていた自分に気づいた。ただの同期のけんかになっていた、と。なかでも、いちばん響いているのは三節目だという。
やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば人は実らず。ここまで行ってしまえば、もう任せられるってことですから。とにかく早く、この三節目まで持っていきたいなっていうふうに思ってはいます。
鈴田さんの経営も生き方も、性善説でできている。
人は間違ったことはしない。なので、信頼をするっていうことを大前提で物事を考えてます。
経験したことのない仕事では、人は失敗する。それは当たり前だ。けれど経験させなければ、その人は経験したことしかできなくなる。失敗を容認し、フォローの仕方をこちらで考えておいたうえで任せる。収録前には、サラリーマン時代に新部署を立ち上げたばかりの頃、当時の専務から経験の大切さを教わったことも、自身の転機として挙げていた。
毎年 10 月 1 日の内定式。その懇親会の乾杯の場で、鈴田さんはこの話をしているという。新しい仲間を迎える日に贈られる言葉は、かつて同期の部下と向き合えずにいた若き日の自分を、変えた言葉でもある。