原点 ── 池袋の電器屋の前で、メロディが「降ってきた」
鈴木結女さんが作曲を始めたのは、14 歳の時だった。きっかけは、一人のアーティストとの偶然の出会いだ。
池袋の町を歩いていて、電器屋さんに当時テレビがいっぱい置いてあって、そこにマイケルジャクソンの「スリラー」がオンパレードみたいな感じで映ってまして。
画面の中でマイケル・ジャクソンが歌い出した瞬間、鈴木さんは「衝撃を受けた」と言う。楽曲のポップス的なリズム感、裏拍の気持ちよさ。洋楽をほとんど聴いたことがなかった中学 2 年生が、その場で何かを感じた。
早く家に帰って何かしたいと思って、ふんふんとか言いながら鼻歌まじりに帰って、いきなりピアノを開けて弾き始めたという感じで。
子どものころにピアノを習っていたが、すでに辞めていた。蓋を閉じたままのピアノが家にあった。マイケル・ジャクソンの「スリラー」が、その蓋を開けさせた。
以来、鈴木さんは感動した瞬間にメロディが「降ってくる」ようになったと言う。誰かとの会話中、美しい景色を前にした時──何か心が動けば、そこに BGM として降ってくる。ピアノはその「まとめ役」に過ぎない。
学校から帰れば鞄を投げてピアノを開ける。30 秒のコマーシャルソングを作ってみたり、女子校でバンドを組んでオリジナル曲をやったり。作曲は趣味そのものだった。ただし──そこには、ひとつだけ問題があった。
作った曲を、誰にも聴かせなかったのである。
「変な声だね」── 兄の結婚式で、業界人と出会った
シャイだった、と鈴木さんは言う。曲はどんどん溜まっていく一方、発表しない。親にも聴かせない。そのことを見兼ねた運動部系の友人が背中を押してくれて、ようやくバンド活動ができるようになった。
しかしデビューのきっかけは、そのバンドからでも、オーディションからでも、デモテープからでもなかった。
11 歳上の兄の結婚式。「お前、一曲歌わないか」と言われた。親族や親しい友人しか来ない、訓練だから──そう聞かされていたが、当日会場の前席には、兄が所属していた放送業界の関係者がずらりと並んでいた。
兄を睨みつけながら、この方々はどなたですかと思いながら、では歌いますって歌ったんです。
振り袖姿で緊張のあまり声が低くなりながら、それでも自分の曲を歌い切った。すると一番前にいた男性が控室に来て、こう言った。
変な声だね。変だけど面白いかもしれないね。声はさておき、曲も作るんでしょ。もしなんかやる気があるならやる?
その男性が、ヴァージン・ジャパンの副社長だった。「変な声」と言われることには慣れていた鈴木さんだが、その言葉が、デビューへの扉を開けた。
「カラオケで歌いにくい」── 自分の色でデビューした、その後に
1991 年、学習院大学文学部英米文学科在学中にデビューアルバム『自分の色』をリリース。ヴァージン・ジャパン初の女性アーティストとして、その年に最優秀新人賞を受賞した。
しかし鈴木さんは、その受賞を単純に喜べなかったと振り返る。
当時の歌手としての己にはなんかダメ出しばかりと言いますか。そのデビューのきっかけが「変な声だね」っていう一言でもありましたし。
デビューアルバムには、鈴木さんのこだわりが詰まっていた。英語の曲、英文科の授業中に書いた曲、途中で変な転調が入る曲、A メロも B メロもないアンビエント的な曲──。レコード会社からは「カラオケで歌いにくい」「日本語で、もっとわかりやすい A メロ B メロサビ曲を作ってほしい」という声が絶えなかった。
それでも「わがままを聴いていただいた」と言う。授業中にこっそりノートに歌詞を書いた Once You Get Started という曲は、アルバムの一曲目を飾った。
「修行」としてのアニメソング ── 「輝きは君の中に」ができるまで
1995 年、鈴木さんの音楽人生に大きな転機が訪れる。テレビアニメ『NINKU -忍空-』のオープニングテーマ「輝きは君の中に」の制作依頼だった。
最初は「アニメ化にあたり主題歌を作ってほしい」というお話が。鈴木さんは原作漫画を全巻読み、楽曲制作に取り組んだ。そんな中エンディングテーマ曲『それでも明日はやってくる』などが生まれた。オープニングテーマ曲『輝きは君の中に』は別の作家作の楽曲となったが、『オープニングもエンディングももちろん全部歌唱を』と歌唱は鈴木さん。今までの少し「ボワーッとした」歌い方では、アニメソングにならなかった。
例えば、名曲、『宇宙戦艦ヤマト』とか、はっきり、力強さとエネルギーに満ち溢れ!みたいな。これぞ、勇気出るアニソン!で。かたや私のそれまでの歌唱はどこかボワッとしていて。アニメソングの歌唱という意味で、これはゼロから訓練しないとと思いましたね。
ボーカルディレクターについてもらい、発声を根本から変えていった。このプロセスは自分にとってのひとつの大事な「修行」のようだった、と鈴木さんは笑う。
その修行が実を結び、「輝きは君の中に」は日本レコード協会ゴールドディスク賞を受賞。30 年後の 2025 年にアニメ『NINKU -忍空-』30 周年を迎えた現在も、SNS にはこの曲への感謝の声が届き続けている。
タイムマシンがあるなら乗って、修行中のあの頃の自分に「頑張れお前、30 年後にまだ皆さん聴いてくださってるぞ!」って言いたいです。(笑)
10 年の休止 ── 作曲だけは、止まらなかった
1999 年、夫の仕事の関係で渡米。音楽活動を休止した。以降、アメリカ・カナダと移り住み、2010 年に帰国するまで約 10 年、ステージには立たなかった。
しかし、作曲は一日も止まらなかった。
渡米先の保育園で先生に「何か音楽をやっていたの?」と聞かれ、学校のイベントのために曲を作った。自分のためにも書き続けた。ただし──「退場曲」という独自の基準があったと言う。
ちょっとでも何かこれ今の感じの時代に合うかなとか、1 ミリでも思った曲は全部なくなっています。
「濁った思い」が混ざっている曲は消していく。自己顕示欲が滲んでいると感じたら、なかったことにする。金子は「芸術家だ」と言った。
茶碗も焼いて、これダメだってみんないい茶碗を割っていいものしか残さないみたいなね、そんな感じですよね。(金子)
息子に歌う子守唄以外、ほとんど歌わなかった 10 年間。しかし内側では、創作の炉が燃え続けていた。
「変な声」が王子役に ── Sound Horizon との出会い、そして再開
2010 年に帰国した鈴木さんを、音楽の世界へ再び引き込んだのは Sound Horizon のアルバム『Märchen』だった。
Sound Horizon は、主宰者 Revo が率いる幻想楽団。『Märchen』は「残酷な童話」をテーマにした作品で、白雪姫や眠り姫などの童話の裏に「復讐」という暗いテーマを織り込んだ物語性の強い世界観を持つ。
関係者を通じて帰国を知られた鈴木さんに、打診が来た。
「女性にしては声低いですよね」って。「今度『Märchen』というプロジェクトが立ち上がるんですが、変わった特性を持つ王子様役で出演しませんか」と。
「”おじ様”じゃなくて、王子様、ですか?」と聞き返したら、「はい、王子様です」と言われた。41 歳での復帰作として、鈴木さんはアルバム内の楽曲で王子役として歌唱した。長いブランクを越えた一歩を後押ししたのは、またしても親友と兄だった。
せっかくお声掛けいただいたから頑張れ、と。心の扉を押されました。
「変な声」が、いつも扉を開ける。
レッスンではなく、セッションで ── 洗足学園での「逆流」の授業
2019 年から、洗足学園音楽大学声優アニメソングコースの歌唱講師を務める鈴木さん。その授業のスタイルが、ユニークだ。
すべてにおいてレッスンというよりはセッションにしたいんだよねって、いつも言って。
発声やリズムの基礎は一緒にしっかり確認する。しかしその先は、「なぜこの曲をやりたいの?」「この歌詞のどこに掴まれるの?」と問い返す。生徒が「ここが好き」と答えると、「じゃあそこから掴まれた気持ちはどういう声で表したい?」と掘り下げていく。
生徒が語った感動と同じ感じで歌えた瞬間、鈴木さんは立ち上がって踊る。「いいじゃねえか!」と言いながら。
「感動は全身で伝えたい!」──それが鈴木さんの哲学だ。
学生から学ぶことも多い、と言う。発見したことは自分にもインプットされる。教えているつもりが、一緒に探求している。デビューから 35 年経った今、鈴木さんが口にした言葉が印象的だった。
学生に教えられていることが多い。そういうことを、じゃあ私がインしたんだったらアウトしていかなきゃって思います。
5 年前は「作曲が好きで、歌は……」と言っていた。今は違う。「歌で堂々と打ち出していきたい」と言い切る。学生とセッションし続けることが、35 年目の鈴木結女を変えた。
VOICES
名言
感動した瞬間に、BGM として降ってくるみたいな感じです。
変な声だね。変だけど面白いかもしれないから。
レッスンというよりはセッションにしたいんだよね。
インしたんだったら、アウトしていかなきゃって思います。
VOICE BEHIND THE VOICE
鈴木さんの原音
対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。
感動から、メロディへ
誰かとお話していて感動した瞬間とか、綺麗な景色を見た時とか、何か心が動いた瞬間にメロディが出てくるので、それをピアノでまとめて。
──鈴木さんが作曲を「趣味」と言う時、それは「好きなこと」という意味だけではない。感動という現象が、そのままメロディに変換される回路が自分の中にある、という意味だ。池袋の電器屋の前でマイケル・ジャクソンに出会った 14 歳から、その回路は今も変わらず動いている。表現とは、感動の変換である──鈴木さんの活動のすべてが、この一点に収束する。
「変な声」が、扉を開ける
変な声だね。変だけど面白いかもしれないから。
──結婚式での副社長の一言。Sound Horizon スタッフの「女性にしては声が低い」という一言。折にふれ鈴木結女の、「変な声」がその人生を動かしてきた。普通なら少しばかり傷つく言葉たちが、次への扉を開ける言葉になったのは、鈴木さんがそのいわゆる「変さ」を個性として自覚したからなのだろう。自分の弱点だと思っていたものが、実は大きなきっかけの扉になることがある。
レッスンではなく、セッション
インしたんだったら、アウトしていかなきゃって思います。
──学生たちと感動を共有し、その感動から歌を引き出す。鈴木さんが洗足学園で行っているのは、教えることではなく、一緒に感動することの往復だ。その往復が、35 年越しに鈴木さん自身を変えている。「歌は……」と尻込みしていた人物が、「歌で堂々と打ち出していきたい」と言えるようになったのは、学生から「インした」感動を「アウト」しようとし続けた結果だった。
CLOSING
明日への誓い
本日はお招きいただきありがとうございました。シンガーソングライターとしてのお話と、未来をつくっていく若者を応援する講師の立場としての話も、たくさんさせていただけてとてもありがたく思いました。
自分で楽曲を制作し歌唱表現をする上でも、大学の授業で学生に話をする上でも、常に心に置いていることがあります。それは、どんな時でもそこに必ず自分自身の物語を込めていくということです。
日々様々なジャンルや内容の楽曲と向かい合っていくのは自分も学生も同じですが、ともすれば何々風になってしまうこともあるかもしれない。世の中の流行り、憧れのアーティストの存在──そういったものに背中を押され自身のクリエイティビティのきっかけにすることは、何ら悪いことではありません。ただ、表現者として何かを発信する以上、そこに自分の魂を宿すことはとても大切だなと感じています。
失敗したらどうしようとか、こんなこと書いたら変に思われるのではなど、人間はつい他人からの評価を気にしてしまうものです。ですが大切に生きてきたそれぞれの人生の中で、誰しもが必ず心が打ち震える感動の瞬間を日々何度も体験しているはずです。つまらないものや取るに足らないことなど一つもない。大きな出来事も、見過ごしてしまうような小さな出来事も、そのすべてに意味があり、かけがえのない人生の物語です。
表現をする上で、オリジナルの作品を制作する際でも、誰かの楽曲をカバーする際でも、その核となる部分には、そんな自分自身のリアルな魂の物語をいつも込めていけたらと願っています。それぞれが、それぞれの人生の中で紡いでいく大切な物語。それをメロディや言葉、思いに乗せて、まず自分自身を開放していくこと、そこから表現探求の歩みが始まっていくと思っています。
自分も学生たちとともに、より豊かな表現者を目指して日々、感動する心にふたをせず生きていきたいと願っています。