CHAPTER 01

原点 ── おばあちゃんの交通事故が、すべての始まりだった

行政書士という職業を選ぶ人の多くは、「もともと行政書士になりたい」と思って法学部に進む。けれど大沼さんは、そうではなかった。

「行政書士になろうと思ったというよりは、どちらかというと法律ですね。法律に興味を持ったきっかけがあって。それが中学校の頃でした」

そのきっかけは、やんちゃっ子だった少年にとって、生涯忘れることのない出来事だった。

信号待ちで停止していた祖母の車に、無保険の雪道車を運転していた外国人ドライバーが追突。そのまま走り去った。轢き逃げだった。家族の誰も法律の知識を持たず、警察からの報告を受けてもうまく受け止められなかった。「家族みんな法律なんて知らないので、警察の方から報告を受けてもよくわからなかった」と大沼さんは振り返る。

法律というものをちゃんと自分自身が知らないと、自分も守れないし、家族も守れない。

そのとき芽生えた感覚が、その後の進路を決定づけた。法学部に進み、いくつもの資格の勉強を重ね、行政書士の道にたどり着く。「行政書士になりたい」ことが目的ではなく、「家族を守れる人間になりたい」ことの結果だったのだ。

CHAPTER 02

行政書士という仕事の「知られなさ」をほぐす

弁護士なら「揉めごと」、税理士なら「税金」と、職業のイメージは即座に思い浮かぶ。けれど行政書士は、その輪郭が見えにくい。大沼さんはこう答えた。

「役所に書類を出さなければならない、例えば飲食店、建設業、産業廃棄物の業務には許可も届出が必要です。でも事業主さんが自分で適切な窓口に適切な書類を出すのは、なかなか難しい。そういった書類作成の代行を、行政書士が代わりに引き受けてやってしまいます。あとは、海外の方が日本に来るときのビザの手続き。そして僕の専門は、相続──遺言書の作成のお手伝いをしています」

行政書士法人 心相続のメインフィールドは、この最後の領域だ。法人化されているのは、複数の行政書士で組織を構成しているためで、名古屋を本拠地に全国展開している。今、大沼さんは銀座を拠点とした東京の事業拡大に取り組んでいる最中だという。

CHAPTER 03

専門は相続 100%、ただし相続だけでは足りない

「ご相談は基本的に 100%、相続のご相談です」

そう語る大沼さんだが、扱うのは民法の知識だけではない。保険、金融、不動産、遺言、家族支援──あらゆる知識と資格を、相続の相談者を守るために計画的に取得している。

「保険のことはわかりません」「不動産はわかりません」では、行政書士として相続のご相談には乗れない。

例えば、相続の現場で必ず出てくるのが保険の問題だ。亡くなった方が加入していた死亡保険金は誰に支払われるのか、税法上どう扱われるのか。その知識がないと相談に乗れない。

金融も同じ。「今は NISA が税制で活発になってきていますし、来年は子どもNISAが解禁されます」と大沼さんは語る。高齢のおじいちゃん、おばあちゃん世代から「孫のために何かしてあげたい」という声は本当に多い。「子どもはいらない、でも、孫はかわいい。おじいちゃん、おばあちゃんは多いんですよ」と笑う。贈与のお金を、預金口座に置くのか、定期預金にするのか、もしくは子どもNISAで運用するのか。相続と金融の境目は、もう存在しない

不動産は、名義変更の登記は司法書士の領域にあたるため、行政書士は直接手を出せない。けれども「交通整理」は行政書士の仕事だと大沼さんは言う。きちんと司法書士の先生につないで、お客様を守っていく。間接的な業務でも、それも行政書士に求められている部分です、と。

さらに近年顕著なのが、家族に障がいを持つお子様がいる家庭からの相談だ。父様や母様がいなくなった後、お子様をどうやって守っていくか──金銭的な支援か、生活の支援か。健常者家庭よりもっと早い段階から具体的に意識せざるを得ない方々のために、保険・年金・後見制度を組み合わせた設計を提案する。

CHAPTER 04

大沼さん自身も、40 歳で遺言書を書いている

「驚かれることは多々あるんですけど」と苦笑いながら、大沼さんは打ち明けた。

「私自身も、すでに遺言書は書いています」

40 歳になったときに初めて書いたという。妻と 8 歳の娘を一人ずつ思いやって、ではない。動機は、もっと具体的なものだった。

どちらかというと、僕の資産の散布図なんですよね。

預金口座、証券口座、仮想通貨。8 歳の娘を育てているうちはならない奥さんは、それがどこにあるかも知らない。

僕の預金がどこにあって、証券会社はどこにあって、仮想通貨はどこであって──奥さんはわからない、途方に暮れると思うんですよ。

家族への愛だけでなく、「奥さんがパソコンの前で困っている」という極めて具体的な絵である。手続きを生業にしている人にとって、愛情の表現は抽象的な感謝だけでなく、「その人が物理的に困らない仕組みをつくる」という方向に向く

そして、大沼さんという人物の核がある。

大資産家だけが書くものでは、決してないと思っていて、僕はむしろ全員書いてもいいんじゃないかと。

業界の通念を、彼は明確に否定する。専門家が独占するのではなく、敷居を下げて多くの人の手に。

「親に遺言書を、ってなかなか言いにくいですよね」──金子の問いかけのとおり、日本人には「亡くなった後のことを口に出すこと」への心理的な障壁がある。だからこそ大沼さんは、無料相談の中で「実質、A4 の紙 1 枚でいいから、一緒に書いてみますか」とその場で書いていけるケースもあるという。それで致命的な事案を防げるなら、時間など問題ではない、ということなのだろう。

CHAPTER 05

「何が不安かわからない」── 一番の不安

大沼さんのセミナーや個別相談に来る人は、明確な悩みを抱えてくるわけではない。

一番の不安は、何に不安があるかわからない、っていう不安なんです。

将来何が起きるかわからないから、今、何かすべきかもしれない──それが相談で最も多いパターンだ。「今はググればいろいろな情報に触れられるし、AI も活用できる時代です。自分で探して自分で解決できる方は、手続きまで自分でされる。ぼくらのところに来られるのは、そもそも何が不安なのか、わからない方なんです」。

そういう人に大沼さんが最初に勧めるのは、遺言書ではなく、保険の散布図だ。

「医療保険、がん保険、死亡保険──皆さん何かしら入っていらっしゃいますよね。それは将来の万が一のために自分で準備している、立派な終活なんですよ」

知らず知らずのうちにやっている、終活が一つはあるんです。

ところが、それを尋ねると、ほぼ全員が答えに詰まる。「その保険は何のために入っているんですか? いつ保険金が降りるんですか?」──だけでなく、「保険証券そのものがどこにあるかもわからない」という人も少なくない。

大沼さんは、「整理から始めればよい」と言う。すでに自分でやっていることをいったん見直すこと。それが、遺言書を書くより最初の本当の第一歩だ。

CHAPTER 06

「お寺でコミュニティを生む」

不安の二番目は、孤独だ。

「最近多いですね、孤独というキーワードへの不安は」「一人暮らし」「子供が遠方にいて頼れない方」「二人暮らしで高齢のご夫婦──そしてどちらかが亡くなって、お一人になる」。

大沼さんは年間 30 回以上のセミナーを開く。テーマの中心は、3 世代で考える終活──親・子・孫を貫く視点。会場は、大学、社会福祉協議会、そして「お寺」。

「お寺で講演するんですか?」と聞いた瞬間、大沼さんはまず「お寺という場所」そのものを定義し直すところから話を始めた。

もともと、お寺って、人が集まる場所だと思うんですよ。

今、その機能は薄れつつある。だからこそ終活セミナーを通じて、その本来の機能を取り戻そうとしている。

名古屋では、印象的な実例がある。セミナーで知り合った高齢のお一人様同士が、その後、御園座(みそのざ)へ歌舞伎を観に行く間柄になったというのだ。手続きとしての終活と、生きている時間を共有するコミュニティとしての終活、両方を「お寺」という場で同時に提供する。

相続の専門家が、相続の前にまず「場所」を語る。彼は手続きの専門家であると同時に、その奥にある社会の構造を見ようとする人だ。

CHAPTER 07

「かかりつけ行政書士」という発想

「行政書士って、何か問題が生じたときにしか会わないようなタイプの職種に思われがちですよね──」と金子が問うと、大沼さんは静かに首を振った。

「歯医者さんって、昔は虫歯になったら行く場所でしたよね。でも今は、虫歯にならないように行く場所に変わってきています」

法律も同じだと大沼さんは続けた。

揉めないように、将来弁護士の事務所に出てこなくていいように、今のうちに相談する。

そう、これが予防法務という考え方だ。「困ったら、行政書士の○○先生に聞いてみよう」──その関係を、地域の中に張り巡らせていく。「専門外のことなら指針役として、その先生に相談してみよう」と紹介してくれる。そうすることで、地域全体、特に高齢の方々を守っていけるはずだ、と。

医療における「治療医学」から「予防医学」への転換と同じ流れが、法律の世界にも来ている。大沼さんはその先頭に立とうとしている。

VOICES

名言

一番の不安は、何に不安があるかわからない、っていう不安。
遺言書って、亡くなった時に妻に渡すのか子供に渡すのか、財産にラベルを貼ってあげるようなもの。
保険を、知らず知らずのうちにやっている、立派な終活ですよ。
揉めないように、将来弁護士の事務所に出てこなくていいように、今のうちに相談する。

VOICE BEHIND THE VOICE

大沼さんの原音

対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。

残された人を、迷わせない

僕の預金がどこにあって、証券会社はどこにあって、仮想通貨はどこであって──奥さんはわからない、途方に暮れると思うんですよ。

──40 歳で自分の遺言書を書いた理由を尋ねられたとき、大沼さんが語ったのは家族への愛だけでも、自分の死生観だけでもなかった。奥さんがパソコンの前で困っている、その具体的な絵だった。手続きを生業にしている人にとっての愛情の形は、抽象的な感謝だけでなく、「その人が物理的に困らない」方向に向かう。それが、相続を専門に選んだ大沼さんの本当の出発点なのだと思う。

「お寺は、本来人が集まる場所」

もともと、お寺ってそういう場所だと思うんですよ。人が集まる場所。

──「お寺で講演するんですか?」と聞かれたとき、大沼さんはまず「お寺」そのものを定義し直すところから話を始める。自分の講演の内容ではなく、その場所が社会の中で何を持っていたかを語る。相続の専門家が、相続の前に「場所」を語る。彼は手続きの専門家であると同時に、社会の構造を見ようとする人なのだと思う。

遺言書は、全員書いていい

大資産家だけが書くものでは、決してないと思っていて、僕はむしろ全員書いてもいいんじゃないかと。

──遺言書は誰のものか? と聞かれたときの回答が、「大資産家のもの」という業界の通念を、彼は明確に否定する。専門家が独占するのではなく、敷居を下げて多くの人の手に。「行政書士に相談することが当たり前になる世界を作りたい」という締めの語りと、ここでまっすぐ繋がっている。彼の中では、自分の事業も、職業全体の未来も、同じ方向を向いている。

CLOSING

明日への誓い

行政書士法は 2026 年 1 月 1 日に大改正が施行された。国民の権利利益の実現が、行政書士の使命として明文化され、デジタル社会への対応も努力義務として規定された。今後、行政書士が担う職責は非常に大きくなる。

しかし、「行政書士って、何をする人なの?」という認知は、まだ社会に広まっていない。私はこの仕事の使命と魅力を伝えていきたい。「困ったら行政書士に相談しよう」が当たり前になる世界を、目指したい。

大学で講演をすると、「行政書士って食べていけるんですか?」という質問が出されたりする。「職業ランキング」で行政書士を見ることはない。けれど将来は、「大学生が、僕の夢は行政書士になることだ」と語られるような世界を、作りたい。

そして、相続を専門とする一行政書士としては──目の前の一人ひとりのご相談者と、その家族にとって、「一番頼れる存在」であり続けたい。「大沼先生に出会えてよかった」と言っていただける、それが私の仕事の原動力です。