この日、着ていたのはすべて日本製だった。日本のテーラー、日本の才能を応援しているからである。

ラグジュアリーを語る人が、ヨーロッパではなく日本を着ている。この回はその位置から始まった。

肩書は、字数で決まった

「服飾史家」という肩書の由来が、いきなり実務的だった。

もともとはイギリス文化の研究者である。その延長でスーツの歴史を書いたところ、日本経済新聞から男性向けにファッションの話を書かないかと声がかかった。週 1 回、7 年半続いた連載である。

その初期に肩書が必要になった。ファッションジャーナリストでは字数が多く、新聞で 2 行に分かれてしまう。

1 行で終わる、一番短い肩書は何か。

4 文字の「服飾史家」がちょうどいい、ということで決まった。名づけたのは記者である。

その後、他紙にも連載が広がり、服飾史家といえばこの人、という状態になった。肩書を変えたいと思っても、皆がそれで覚えている。

240 兆円は、一部でしかない

ラグジュアリーと聞いて日本人が思い浮かべるのは、フランスのコングロマリットが展開し、表参道や銀座に旗艦店を構えるブランド群だろう。

それは間違いではない。ここ 40 年ほどの高度資本主義のもとで育ったビジネスで、規模は約 240 兆円にのぼる。

だが、それだけだと思うと誤解する、と釘が刺された。

人類はラスコー洞窟の時代からラグジュアリーを必要としてきた。

この生存に必要のないものというか

自分の存在の意味を格上げしてもらえるようなもの

そういうものを、人はずっと求めてきた。だから文明の数だけラグジュアリー観がある。

日本語で近いのは「雅(みやび)」だという。ただし世界の研究者と同じ土俵で議論するときは、ラグジュアリーという語がフックになる。雅を持ち出すと、そこから説明を始めなければならない。

三つの、地層

ヨーロッパだけを取っても、歴史は層になっていた。

中世は教会と王侯貴族の時代である。贅沢禁止法があった。自分たちの立場以外の者はラグジュアリーを享受してはいけない、という法である。それによって社会を安定させていた。

次にブルジョワが力を持つ。急に富裕になった男性が何をしたか。女性に現金を渡さず、きらびやかな小物や最新のファッションを贈る。本人が「目かけと書いて」と説明した妾(めかけ)経済である。それによって資本主義が回り始めた。今のハイブランドには、この 19 世紀半ばに起源を持つものが多い。

そして産業革命期のイギリスではジェントルマンが力を持つ。ここで難しさが加わった。良いものを買えるだけでは足りない。使い方や TPO を知らなければラグジュアリーではない。享受する側に知識と教養とマナーが要求される時代である。

王侯貴族、ブルジョワ、ジェントルマン。地層がある。

今のハイブランドは、その地層から今の販売に都合のよい事実を抽出し、ヘリテージとして付加価値に変えている。それが今の売り方だ、というのが本人の整理だった。

国ごとの性格も違う。イギリスは王室御用達のような権威に強い。イタリアはクラフツマンシップを重んじ、非日常より日常のラグジュアリーを大事にする。地域ごとに技術の発展が異なるので、地域に根ざしたラグジュアリーになる。日本はイタリアのほうに近い、という見立てだった。

ラグジュアリー・シェイム

そして今、業界は転換期にある。

ステータスの証明のためだけにラグジュアリーを使うことが恥ずかしいという感覚が広がった。ラグジュアリー・シェイムと呼ばれる。かつてバブル期の日本人がパリに押しかけ、次に中国の消費者がそうなり、その中国でも同じ変化が起きている。

コロナ禍の反動で業界は大きく伸びたが、それが落ち着き、前年度は減収に転じた。業界の内側からも「ラグジュアリー・クラッシュ」「ラグジュアリー疲れ」という言葉が出ている。

富裕層の関心も変わった。銀座で買い物ではなく、美容室に行きたい、温泉に入りたい、寺で座禅を組みたい。モノから体験と知識、ウェルビーイングへ移っている。

ここに日本が入り込む余地が生まれている、というのがこの回の主張だった。

オーセンティックとは、何か

今のラグジュアリーの主要テーマは、ローカルに根ざしたオーセンティックなものである。

ハイブランドは希少性を大量に売るという矛盾を抱えてきた。そこに消費者が気づき始めた。

例として挙がったのは、まず地元・富山だった。ニューヨーク・タイムズが行くべき場所として富山市を取り上げている。グローバル化されていないローカルなものを追い求めると、そこに行き着く。

ます寿司も例に出た。あの土地の米と水がなければできず、おいしい鱒がなければできず、竹がなければできない。その土地でしかできないという意味でオーセンティックである。

より印象的だったのは、宮古島の宮古上布の話だった。

織物として 500 万円、1000 万円で売れる。取材に行くと、糸を作るのは村の 60 歳以上の女性たちだった。家族の世話が終わる 60 歳でようやく始められる。

そして90 歳で一人前になる。

ところが 90 歳になると手の感覚が鈍り、糸が荒くなる。その荒くなった糸が丈夫な帯になるので、より高く売れる。

外から見れば、高齢の女性を働かせて大変そうだ、と映る。だが村の女性たちは誇りを持っている。若い者に入ってきてほしくない、とまで言われた。

その島独特の価値観までがセットでローカリティであり、オーセンティシティである。布と一緒にそれを売っている。

取材そのものも冒険だったという。同じ名字の家がいくつもあり、鍵をかけていないので、訪ねると「はい、どうぞ」と開く。工房のありそうな隣を探して回った。

金箔を打つ、紙

金沢の金箔も取材している。

金箔は金沢でほぼ 100% が作られている。作り方は複数あるが、ユネスコの無形文化遺産に登録されているのは縁付(えんつけ)製法という特殊な製法で、

それを作れるのは金沢に 5 人ほどしかいない。若い人が入らなければ、あと数年で技術が廃れる。

そして面白いのは、金箔そのものより、金箔を打つときに挟む紙のほうが大変だという点だった。

その紙は、金沢の水でなければできない。そして北陸の人の粘り強い気質がなければできない、と言われているという。

そのうちの風土があって 哲学があって人の気質があってそれが生まれる

さらに続きがあった。化粧品のあぶらとり紙は、この金箔の紙から生まれている。4、5 回使った紙を切って転用したのが始まりである。ごみがほとんど出ない、サステナブルなビジネスでもある。

焼き物についても、外からの視線の話が出た。ひび割れた不完全な茶碗を、海外の人が見て「完全とは何か」を考えさせられる。だからそこに価値がある。金継ぎもそうである。日本人はぎょっとするが、別の文化から見ると大きな価値になる。

日本中に、まだ気づかれていないものが埋まっている。作っている本人たちが、それが世界から注目されるものだと気づいていない。太平洋側が引っ張ってきたと言われるが、

引っ張ってこなかった側にこそ面白いものがある。

職人の賃金を、上げる

では日本に何が足りないのか。答えは明快だった。

そこをもっと職人さんの賃金を上げて 社会的地位をちゃんと高くして

作っている職人の賃金は低く、子どもに自慢できないという職人もいる。名前をフィーチャーして紹介していく。そこの意識を変えないといけない。

ある意味で謙虚さを捨てて、高い値段をつけるべきだ、というスタジオの言葉に対しては、条件が付いた。

ただ高くすればいいのではない。値段以上の価値を感じさせることが要る。ストーリーを作り込み、価値を出し、それに見合う価格をつける。

人って値段ってどうでもよくなるんですよ

人生を格上げするような視点を感じたとき、値段は問題ではなくなる。新しい視点そのものがラグジュアリーになる、というのがこの日の核心のひとつだった。

星空が、見えなくなる

サステナビリティとの関係を問われて出てきたのが、イタリアのニットブランド、ブルネロ・クチネリの話だった。

本社はペルージャ近郊のソロメオ村にある。村である。そこで 1970 年代からカシミアニットを作っている。

クチネリが最も大事にしているのは、職人である。イタリアの平均賃金より高い賃金を払う。すると職人は尊厳を感じる。大事にされていると思えば、責任感が生まれる。

責任感を感じた人ってすごい良いものを作るんですよ

良いものは高く売れる。ニットは 100 万円を超えるものも珍しくない。そしてその利益を村の修復に使う。図書館ができ、劇場ができ、公園ができ、村そのものが美しくなっていく。

根本的に人間を大事にする 働いてる人を大事にするっていうのが サステナブルの根本じゃないかと思う

リサイクルをどうするかという話だけがサステナブルではない、という指摘である。

そしてこの村には、見学者が多く訪れる。だが、

ホテルを作ると夜明るくなっちゃって 星空が村人が見えなくなる

だから作らない。

儲かるほうへ走らないところが、本当のセンスになっている。何をもってサステナブルと呼ぶかに、思想と人間観が現れる。

セクシーで、豊かで、輝かせる

最後に、ラグジュアリーの語源が三つ挙げられた。

ひとつは lust、色欲である。古い時代のラグジュアリーは男女の関係を指すこともあった。ひとつは luxus、植物がたっぷり斜めに伸びる様子から「豊富」を意味する。そしてもうひとつが lux、光の単位である。

そこから導かれた本人の定義が、この回のもうひとつの芯だった。

私としてはラグジュアリーっていうのはまずセクシーでなきゃいけない

人を魅了するものでなければならない。次に、豊かでなければならない。何を豊かとするかは文化によって違い、日本では侘び寂びも豊かさのひとつである。そして、

そして人とか社会を輝かせるものでなければいけない

手仕事の未来についても、明確だった。

やっぱりAIが発達してくると やっぱり手仕事って幸せの源になると思うんですよ

人間は何かを作っていないと、生きている実感が得られなくなるのではないか。だから高度資本主義のラグジュアリーブランドも手仕事を大事にし、資金援助をしている。手仕事を最後の砦にしていかなければならない、と。

VOICES

名言

自分の存在の意味を格上げしてもらえるようなもの
責任感を感じた人ってすごい良いものを作るんですよ
人って値段ってどうでもよくなるんですよ
やっぱりAIが発達してくると やっぱり手仕事って幸せの源になると思うんですよ

VOICE BEHIND THE VOICE

中野さんの原音

対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。

星空が、見えなくなる

ホテルを作ると夜明るくなっちゃって 星空が村人が見えなくなる

──イタリアのニットブランド、ブルネロ・クチネリの本社があるソロメオ村の話である。その経営を学ぶために世界中から見学者が訪れるが、村にホテルは建てない。理由がこれだった。

そこに至る循環も語られた。職人にイタリアの平均賃金より高い賃金を払う。職人は尊厳を感じ、責任感が生まれる。責任感のある職人は良いものを作る。それが高く売れ、利益は村の修復に使われる。図書館、劇場、公園ができ、村そのものが美しくなっていく。

「根本的に人間を大事にする、働いてる人を大事にするっていうのがサステナブルの根本じゃないか」──リサイクルの話だけがサステナビリティではない。何をもってサステナブルと呼ぶかに、思想と人間観が現れる、というのが本人の見方だった。

まず、セクシーでなければ

私としてはラグジュアリーっていうのはまずセクシーでなきゃいけない

──ラグジュアリーの語源は三つあるという。lust(色欲)、luxus(植物がたっぷり斜めに伸びる様子から「豊富」)、そして lux(光の単位)。そこから導かれた定義である。

まず人を魅了するものであること。次に豊かであること。ただし何を豊かとするかは文化によって違い、日本では侘び寂びも豊かさのひとつになる。そして、人や社会を輝かせるものであること。

この定義は、240 兆円のビジネスとしてのラグジュアリーとは別の地平を指している。人類はラスコー洞窟の時代から「生存に必要のないもの」「自分の存在の意味を格上げしてもらえるもの」を求めてきた。だから文明の数だけラグジュアリー観がある──日本が入り込む余地は、そこにあるという主張だった。

CLOSING

明日への誓い

それでは、私の思いを改めてお伝えしたいと思います。

世界のラグジュアリー市場は、約 240 兆円規模までに拡大しています。しかし残念なことに、その中で日本が占める存在感は、ごくわずかにとどまっています。

一方で、ここ数十年の高度資本主義の中で成長してきたラグジュアリービジネスは、今大きな転換期を迎えています。世界の消費者の間では「ラグジュアリー疲れ」という現象が起きており、これからの数年で劇的に市場が変わる可能性があります。

では、その次に何が求められるのでしょうか。それは、新しい視点と本質的な価値、精神的充足、すなわちウェルビーイングを志向する動きです。

その文脈の中で、日本が誇る伝統と卓越した技能、日本特有の美意識、そしておもてなしの精神は、かつてないほど注目を浴びており、今後いっそう有利に作用することが予想されます。

私が目指すのは、日本独自の物語性、固有の美意識といった価値をしっかりと理解して、それらを領域横断的に最大化して新しい視点をもたらし、世界のラグジュアリー市場で堂々と戦えるビジネスを後押しすることです。

具体的には、まず教育機関の整備が欠かせません。職人の育成だけでなく、ストーリーテリングや文化理解力、ラグジュアリーマネジメントといった専門知識を備えた人材を育てる場を作る必要があります。

さらに、西洋各国の事例にあるようなラグジュアリー統括機関──例えばイギリスにはウォルポール、フランスにはコルベール委員会、イタリアにはアルタガンマのような統括機関があるんですけれども──日本らしさを生かした統括機関も整備し、教育と産業と統括機関が三位一体となって連動し、エコシステムを形成できる仕組みを作っていく。そんなお手伝いをしたいと考えております。

そのために私は、大きな見取り図を提示するとともに、海外のラグジュアリーセクターと最新の情報を交換し、日本の伝統産業をミステリアスなものから世界の最前線へと導きたいと思っています。そのための知見を提供し、情報を発信し、海外との架け橋として尽力することを、当面のミッションとして掲げています。

ラグジュアリーの可能性は、これからの日本の大きな資源です。この構想を実現するためには、同じ志を持つ皆様のご協力がどうしても必要です。どうか皆さんと手を携えながら、新しいラグジュアリーの時代を共に築いてまいりましょう。