プロ野球のジェネラルマネージャーである。ただし、来歴は野球ではなかった。

岩手県釜石市の出身で、高校からずっとラグビーをやってきた。東京大学でもラグビー部である。福岡には、九州大学との定期戦で何度か行った程度の縁しかなかった。

ただし、接点はあった。父が釜石の新日鉄に勤務し、ラグビー部の部長をしていたのである。社会人アマチュアのラグビー部長と、プロ野球の GM。今になってみると、その仕事は似ている。

実際、ホークスへ誘われたときにも同じことを言われた。当時の球団社長で、ソフトバンクのナンバー 2 だった元上司・笠井和彦氏からである。

ラグビーも野球も同じだからと言われてですね

当時はラグビーに打ち込んでいたから、なんて雑なことを言うおじいさんだろう、と思ったという。

今は分かる。選手ではなくマネジメントの立場でチームを支えて強くするという意味では同じであり、環境整備の中身も似ている。ラグビー部の監督をやっていた経験は、規模こそ違え、今の仕事の根本と変わらない。

歴史の面でも重なる。ラグビーも野球も、明治以降大学スポーツを中心に発展したという共通点がある。だからラグビー時代に指導者と築いた関係の感覚が、そのまま野球界でも通じる。ラグビーは辛いスポーツなので、やっていましたと言うと一目置かれるところもある、と笑っていた。

ウェールズで、見たもの

日本テレコムに入ったのは、1997 年。インターネットの黎明期である。

動機は少しひねくれていた。東大ラグビー部といえば行くところ、という会社は他にあった。先輩がたくさんいて面倒だ、という感覚があったという。

その後、社内の留学制度に応募する。英語もできず、MBA が何かも分かっていなかった。試験的に始まった制度だったので、行けるところに行ってみなさい、という話になった。

選んだのが、イギリスのカーディフである。理由はやはりラグビーだった。ウェールズはラグビーが最も盛んな地域であり、そこに MBA コースがある。

加えて、街の雰囲気が生まれ育った釜石によく似ていた。工業とかつての鉱業の街だからである。

留学中に触れたのは、勉強だけではなかった。ラグビーの聖地に行き、サッカーも見た。イギリスのプロスポーツ文化に触れたことが、いつかスポーツを仕事にしたいという原型になった。

そして、この時期にもう一つ、決定的な経験がある。

2001 年から 2002 年の滞在だった。コースが始まる前の 9 月 11 日、同時多発テロが起きる。大学の校舎でテレビを見ていた。

MBA コースはイギリス人が 15% ほどで、85% が留学生という構成だった。そこで見たのが、同じ出来事に対する反応の違いである。

語弊を恐れずに言えば、と前置きしたうえで語られた。アラブから来た人はすごく喜んでいた。中国人の同級生には、アメリカはこうなる運命だったのだ、と言う人がいた。日本人は、普通に悲しんでいた。

そして BBC のレポーターは、悲しい出来事だとしたうえで、なぜアメリカは嫌われているのかを考えなければいけない、と言っていた。

同じ出来事でも感じ方っていうのは全然違うっていうようなことっていうのは

2024 年の今、起きていることを考えるときにも、そのときの記憶がベースにある、と語られた。

翌年の日韓ワールドカップも同じだった。イングランドとアルゼンチンの試合をウェールズで見る。イングランド、スコットランド、ウェールズ、そしてアイルランドがどういう関係にあるのかが、その場で学べた。

球団ではなく、会社

帰国後、日本テレコムはソフトバンクグループに入り、そこから 2008 年にホークスへ移る。

最初に強調されたのが、会社としての姿だった。福岡ソフトバンクホークス株式会社がどういう会社かは、意外と知られていない。

社員は 300 人以上。みずほ PayPay ドーム福岡を所有し、野球とコンサートを合わせて年間 400 万人ほどを集める、箱の経営を主にしている会社である。プロ野球で 250 万人ほど、それが最大の収益源になる。

コンサートも大きい。音楽がネット中心になる一方でライブビジネスは活況で、ドームツアーの一都市として組み込まれる。

さらに、2020 年にはドームの横にエンターテインメントのビルを建てた。フードコート、吉本興業の劇場、HKT の劇場などが入り、そこだけで年間延べ 100 万人以上が訪れる。コロナ後は韓国、台湾、中国からの来訪も多い。野球は見ないがビルに来る人にどうアプローチするか、というのも仕事のうちになる。

元々、強かった

強さの秘訣を問われて、返ってきた答えが正直だった。

まず最初は元々強かったっていうのがあります。

南海ホークス時代には長く B クラスが続いた。1989 年に福岡へ移転し、1995 年に王貞治氏を監督に招聘。1999 年に初めての日本一を果たし、そこから黄金時代が始まる。

親会社の経営が厳しくなる中、2004 年にダイエーから譲り受ける形でソフトバンクホークスが始まった。同じ時期に生まれた新規参入球団や合併球団とは、前提がまったく違う。応援歌も変えず、王監督にも引き継いでもらった。だから最初から強かった。

それでも、しばらく日本一には届かなかった。2011 年に初めて日本一になる。

そこで効いたものとして挙げられたのが、データの活用だった。最先端の技術を使ったスポーツアナリティクスと呼ばれる分野である。当時はまだ手がついていない部分があった。

伝統的に強い選手がいて、王監督がマネジメントする。そこに最先端のテクノロジーによるサポートが噛み合いだして、成績が出てきた。通信やインターネットの世界から来た三笠さんは、そのデータ分析の環境を構築する役回りを担った。

もう一つが、三軍制である。2011 年から、日本のプロ野球で先駆けて始めた。日本のプロ野球は通常、二軍までしかない。

前年からは四軍制になり、選手は 120 人ほどいる。この育成の環境から、ニューヨーク・メッツの千賀滉大投手や、捕手で日本代表にもなった甲斐選手が出てきた。

二軍までしかないと、二軍にも出られない選手はひたすら練習するしかない。三軍・四軍があれば試合ができる。対戦相手は、四国や九州の独立リーグ、社会人チーム、時期によっては大学。そして毎年、韓国のプロ野球の二軍リーグへ遠征する。福岡と釜山は、福岡と宮崎くらいの距離しかない。

この発想の出どころも明快だった。

アメリカのマイナーリーグは練習をやるというよりかは試合経験を通じて

切磋琢磨して伸びていく環境である。それを球団内に作りたかった。背景には、ソフトバンクになってからのスローガン「目指せ世界一」がある。日本の中にとどまらず、アメリカの球団に負けない仕組みを作る、ということだった。

GM とは、何をする人か

この回で一番、外からは見えない部分が語られたのがここだった。

GM はジェネラルマネージャーの略である。プロ野球では、チームの監督がフィールドマネージャーにあたる。

チームの監督がやる以外の一切をやるというのがGMの仕事。

具体的には、選手・監督・コーチ・スタッフの契約の責任者である。120 人の選手について、今年これだけ活躍したから来年はこれくらい、というプランを作り、会社の承認を得て契約交渉をする。

分かりやすいのがドラフトだった。配下にアマチュアのスカウト部隊がいて、選手をリストアップする。今チームに足りない選手、中長期で必要な選手を踏まえて、誰を指名するかを最終決定するのが GM の仕事になる。

そして、世知辛い面がある。支配下契約選手には 70 人という枠がある。だから 5 人取れば 5 人出さなければならない。獲得する仕事をするということは、ニアリーイコールで戦力外を決める仕事でもある。今年で終わりです、と通告する。

監督・コーチ陣の構成も決める。近年はスタッフの比重も増した。データ分析のアナリスト、ウエイトトレーニングのトレーナー、怪我を管理するメディカル部門。その体制をどうするかも考える。

本人が使った比喩が分かりやすかった。劇団で演技指導をするのが監督なら、大道具も小道具も含めた運営全体を考えるプロデューサーに近い、と。

お金が絡むので、みんなやりたがらない。だから僕がやりますと手を挙げたら、どうぞどうぞ、となったのだそうだ。

日本では GM は元選手が務めることがほとんどで、監督退任後の名誉職的な肩書きになることもある。ところがメジャーリーグでは、元選手とそうでない人の割合が半々ほどだという。

背景として挙がったのが『マネーボール』だった。伝統的な指標ではなく、勝利への貢献度が高い指標を重視し、限られた予算で評価されていない選手を獲る。オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンが 2000 年代初めに成果を上げて以降、野球経験のない人が編成を担うことが広がった。野球好きの青年や、ウォール街で働いていた人がそこに入っていく。

ラグビーとの違いも聞かれた。ラグビーはワン・フォー・オールだが、野球はどうか。

答えは意外だった。競技としては個人スポーツの集合に近い。ただし、毎日試合をやって移動し続ける、ものすごく団体生活をする集団でもある。だから競技以外のところでこそ、ワン・フォー・オールでないと成り立たない、と。

VOICES

名言

まず最初は元々強かったっていうのがあります。
チームの監督がやる以外の一切をやるというのがGMの仕事。
アメリカのマイナーリーグは練習をやるというよりかは試合経験を通じて
同じ出来事でも感じ方っていうのは全然違うっていうようなことっていうのは

VOICE BEHIND THE VOICE

三笠さんの原音

対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。

ラグビーも野球も、同じだから

ラグビーも野球も同じだからと言われてですね

──高校から東大まで、ずっとラグビーをやってきた。父も釜石の新日鉄でラグビー部の部長を務めていた。福岡にも野球にも、縁はなかった。

ホークスに興味はないか、と誘われたとき、当時の球団社長でソフトバンクのナンバー 2 だった元上司・笠井和彦氏から言われたのがこの一言である。ラグビーに打ち込んでいた当時は、なんて雑なことを言うおじいさんだろうと思ったという。

今は分かる。選手ではなくマネジメントの立場でチームを支えて強くするという意味では同じで、環境整備の中身も似ている。ラグビー部の監督をやっていた経験は、規模こそ違え、今の仕事の根本と変わらない。ラグビーも野球も明治以降、大学スポーツを中心に発展したという歴史まで重なっていた。

日本一は、通過点

目標は日本一ではなくて世界一ということで

──ソフトバンクになってからの球団スローガンが「目指せ世界一」である。日本一はその通過点として位置づけられている。

この一語が、現場の仕組みを決めていた。アメリカの球団に負けない仕組みを作りたい、というところから三軍制が生まれる。日本のプロ野球は通常二軍までだが、2011 年に先駆けて三軍を作り、前年からは四軍制になった。選手は 120 人ほどいる。

手本はメジャーリーグのマイナーリーグ組織だった。練習ではなく試合経験を通じて伸びる環境である。そこから千賀滉大投手や甲斐選手が育った。さらに三笠さん自身も、メジャー 30 球団と NPB 12 球団を合わせた 42 人の中で一番の GM になる、という目標を語っている。プロ野球クラブの世界一決定戦をやる道筋を作ることも、自分の仕事だと考えている。

CLOSING

明日への誓い

今日はありがとうございました。私が今務めている福岡ソフトバンクホークスの球団スローガンである「目指せ世界一」を達成するために、これからも精進していきたいと思っています。

福岡ソフトバンクホークスの目標は日本一ではなくて世界一ということで、その目標のための通過点としての日本一がある、というふうに考えて日々チーム作りをしています。

あとは、目指せ世界一を達成するためには、世界一魅力的なチームを作るというようなことだけではなくて、そもそもプロ野球のクラブで世界一決定戦をやるというような道筋を作るということも今できておりませんので、そういうようなことも自分の仕事としてやっていきたいと思いますし。

選手や監督、コーチがおのおのの世界一を目指すということと同じように、自分自身も世界一のジェネラルマネージャーになるということを目標に。メジャーリーグ 30 球団と、世界ナンバー 2 と言われている NPB は 12 球団ありますので、その 42 人の中で一番いいジェネラルマネージャーになるように、今後も頑張っていきたいなというふうに思います。

こういう活動を通じて、スポーツをやったり見たりということだけではなくて、スポーツを支えていくという仕事についても興味を持ってくれる方を増やしていきたいなと思っています。増やすためにも、さっき言った、自分のチームが世界一になって、自分も世界一のジェネラルマネージャーになるということを目標に、今後も頑張っていきたいなというふうに思っています。

今日はどうもありがとうございました。