CHAPTER 01

原点 ── 差し入れの鬼まんじゅうに、「これ何?」

スタジオのテーブルには、色とりどりの鬼まんじゅうが並んでいた。収録の前に、前田さんが名古屋市内の 4 店舗を回って買い集め、東京まで運んできたものだ。

角切りのさつまいもを、小麦粉の生地がかろうじてつなぎとめている。ゴツゴツとした見た目。九州育ちの川越は、この日初めて鬼まんじゅうを目にした。ひと口食べて、「素朴なお芋の甘さ」に頬をゆるめる。

名古屋で生まれ育った前田さんにとって、それは物心ついた頃から当たり前にある味だった。

夕方におばあちゃんが、お腹空いてるだろうって言ってもらった覚えがある。

もとは家庭で作られていたおやつである。腹持ちがよく、子どもの空腹を満たすにはちょうどよかった。

転機は、若い頃の職場で訪れた。休日出勤も当たり前の時代。前田さんは差し入れのつもりで、鬼まんじゅうを持っていった。

そしたらみんなが、これ何って言うわけですよ。

場所は名古屋。それでも、誰も知らなかった。後でよく考えると、その場にいた同僚は東京、滋賀、静岡の出身者ばかりで、愛知の人がいなかった。

じゃあ一体どこまでだったら普通に普及してるのかなっていうのを調べようと思ったのが、この始まりなんですよ。

ふるさとの味が、ローカルフードだったという衝撃。20 年に及ぶ「鬼まんじゅう研究」は、同僚たちの素朴な一言から始まった。

CHAPTER 02

東海3県だけの、ふるさとの味

前田さんはまず、鬼まんじゅうがどこまで広がっているのかを調べた。基準にしたのは、販売している店があるかどうか。

基本的には愛知県、岐阜県、三重県。この 3 県にほぼ限られています。

同じ岐阜県でも飛騨地方にはあまり浸透しておらず、三重県も南部では販売店がほとんど見当たらない。学校給食で出たという話は聞くものの、店で日常的に買える範囲は、東海 3 県の限られたエリアにとどまっていた。

旬もある。通年で売る店もあるが、多くの店は 9 月頃から店頭に並べ始める。12 月になるとさつまいもの質が落ちるため、そこで販売をやめる店も少なくない。新芋は 6 月頃から出回るが、暑い時期よりも、少し涼しくなった頃のほうがおいしく感じる──そんな、秋の味覚である。

そして、基本的に日持ちはしない。

日持ちしないんですよ、基本的に。だから当日限りっていう。

本来は、できたてのほかほかを食べるもの。この日も店からは温かいものを渡されたが、東京まで運ぶために、あえて冷ましながら持ってきたという。食べきれなければ冷凍して戻せばいい。古くなったものを油で揚げて食べる人もいるそうだ。

その土地で、その日のうちに食べる。鬼まんじゅうは、徹頭徹尾「地元の味」なのである。

CHAPTER 03

名前の謎 ── 芋まんじゅう、鬼の角、そして石垣

なぜ「鬼」なのか。前田さんは、こう即答した。

謎なんですよ。

古くは「芋ういろう」「芋まんじゅう」と呼ばれていた。古い店の中には、今もその名で売っているところがある。この日スタジオに持ち込まれた中にも、実は「芋まんじゅう」の名で売られていたものがあった。それがある時期から「鬼まんじゅう」という呼び名が勢力を強め、今ではほぼその名に統一された。

名前の由来にも諸説ある。最も有力なのは、ゴツゴツした見た目が鬼の角を思わせるという「鬼の角説」。少数派として「鬼ヶ島説」もある。かつては「石垣餅」「石垣まんじゅう」とも呼ばれていたらしい。大分県には、見た目のよく似た「石垣餅」という郷土菓子もある。いずれにせよ、名前の多くは見た目から来ているようだ。

いつ頃生まれたのかも、はっきりしない。

小麦粉と、それからさつまいもと砂糖でできているので、その材料が揃ったのが江戸末期ぐらいっていうので、可能性としてそこからないことはないんじゃないかという話がありますけど。

ただ、当時の小麦粉と砂糖は高級品だった。庶民にまで浸透したのは、大正から昭和の初め頃ではないか、と前田さんは見る。戦時中の食糧難の時代、これでお腹を満たしたという思い出を持つ人も多い。普及したのは、その頃だろうという。

由来は謎のまま。けれどその謎こそが、鬼まんじゅうの奥行きなのかもしれない。

CHAPTER 04

「元祖」を名乗らない老舗

元祖や本家はないのか──金子の問いに、前田さんは業界でささやかれる、ある「噂」を明かした。

名古屋で鬼まんじゅうの名店として知られる、ある老舗の先代が「鬼まんじゅう」と名付けたのではないか、というのだ。

噂を確かめるため、前田さんは現在の社長に直接話を聞きに行った。返ってきたのは、思いがけない言葉だった。確証がないから、根拠のないことは言わないでほしい、と。

普通、元祖や本家を名乗りたがるもの。登録商標をめぐって争う例も少なくない世界である。前田さんは、その謙虚さに心を動かされた。

だから僕、結構それに感動したんですよね。

しかも、否定したわけではない。「うちではない」とは言っていない。証拠がない、というだけ。前田さんはそう受け止めている。

名付け親かもしれない店が、それを誇らずに、ただ黙々と作り続けている。このエピソードは、鬼まんじゅうという菓子の性格そのものを物語っているようでもある。

CHAPTER 05

よもぎも、桜も、カレーも ── 庶民の菓子の懐の深さ

スタジオに並んだ鬼まんじゅうは、驚くほど多彩だった。黒糖を練り込んだ茶色いもの、緑色のよもぎ味、ピンク色の桜味、抹茶、コーヒー、みかん。そして──カレー。

カレーの、ものすごいカレーの匂いがします。

意を決してカレー味を口にした川越が「本当にカレーですね」と目を丸くし、金子はよもぎ味の生地のしっかりした食感を味わう。並べて見比べると、芋の切り方の大きさも、芋と生地の割合も、店ごとにまるで違う。

生地にたっぷり砂糖を混ぜる店もあれば、甘みを抑えてさつまいもの甘さで勝負する店もある。前田さん自身は、「甘みを少し抑えた方がいい」派だ。

季節ごとの展開もしたたかだ。ハロウィンにはかぼちゃ、節分には豆まきの豆を入れたもの、秋には栗や柿を乗せたもの。ベースのさつまいもは必須アイテムで、その上に季節を重ねていく。洋菓子店が「鬼まんロール」と銘打ったロールケーキを売っていたこともある。さつまいものかけらが乗っていれば、もう鬼まん──名古屋では、そんな感覚があるのだという。

素材へのこだわりも見逃せない。愛知県産の小麦粉を使うなど地産地消を意識する店が多い一方、芋はその時期に一番よいものを選び、宮崎や鹿児島など九州産を使う店が多い。あえて地元・名古屋や三河の芋を使う店もある。

単価は安いけど、結構こだわって作っているっていう感じを、いろいろとお店を取材するとそういうことが分かります。

価格も庶民的だ。この日持ち込まれたものは 1 個 200 円しない。前田さんが活動を始めた 20 年前の調査では平均約 130 円。物価高の今は、都心部では 200 円を超えるという。それでも、高級なケーキとは違い、「ちょっとつまみたい」ときに気軽に手を伸ばせる。

庶民性はなんとかまだキープしているのかなという感じです。

CHAPTER 06

会社の外に、大真面目な「遊び」を

なぜ、ひとりの会社員が鬼まんじゅうの研究に打ち込んだのか。前田さんは、組織で長く働く中で感じた違和感を、率直に語った。

やっぱり会社ってこう、なんて言うんですかね、創業当時っていうのが多分一番ハッピーなんですよね。

時間がたつと、組織にはどうしても制度疲労のようなものが出てくる。変えようと思っても、なかなか変えられない。すでに出来上がった世界は世界として、そこから少し離れたところに、自分だけの自由な領域を持ちたい──そう思っていた矢先に、あの「これ何?」があった。

周囲には、たいてい笑われた。変なことをやっている人がいる、と。けれど前田さんは意に介さなかった。

くだらないと思えるようなことを大真面目にやりたいなと。

そうして約 20 年前、「全日本鬼まんじゅう普及協議会」が誕生する。名前は堂々たるものだが、実態はこうだ。

実際は会長してますけど、会員僕だけなんで。

一時は、知人に頼み込んで「広報部長」を置いたこともある。名古屋ローカルのテレビやラジオから取材が来るようになり、「広報を通してください」と言ってみたかったのだ。ところがその広報部長は海外へ転勤してしまい、ポストは空席のまま。

前田さんはそれを、笑いながら話す。肩書は大げさに、中身は大真面目に。その遊び心こそが、20 年続いた原動力なのだろう。

CHAPTER 07

100店のうち40店が、消えた

いま前田さんは、協議会のウェブサイトの作り直しに取り組んでいる。店の紹介や商品の情報が、古くなりすぎていたからだ。

その作業の中で、ある事実に気づいた。

たぶん 100 件ぐらい僕、所在してるんですけど、その中の 40 件ぐらいがもうすでに廃業してるんです。

この 20 年で、記録してきた店の約 4 割が姿を消していた。鬼まんじゅうの担い手の主流は、おじいちゃん、おばあちゃんが切り盛りする零細な街のお菓子屋さん。「おばあちゃんがご縁で出す」ような、素朴な菓子を作ってきた店である。

だからそれにはちょっと僕、やってみてショック結構受けて。

過去の食べ物になりつつあるのかもしれない──。その危機感が、前田さんの活動を次の段階へと押し出している。

各店を巡回して現状を把握する「サポーター」がほしい。愛知県担当、岐阜県担当と、遊び心を込めて役割を決めたい。試食会や評価会を開きたい。友人からは「オニマンフェス」の開催まで持ちかけられている。けれど、まずは会員増強が先だ、と前田さんは言う。

まずは仲間作りをしたいっていうのと、できたら若い人が一緒にやってくれると、とっても嬉しいなというふうに思います。

全日本、と名乗る以上、いずれは日本中に広めたい。ただ単価の安い菓子だけに、遠方の店に作ってほしいと頼むのは簡単ではない。だからこそ、面白がってくれる仲間の存在が欠かせない。

いつ実現させるのか、と問われた前田さんの答えは、実に前田さんらしかった。

ちょっと、生きてるうちにやりたいと思います。

たったひとりの協議会は、これから本当の意味で「普及」の第一歩を踏み出そうとしている。

VOICES

名言

じゃあ一体どこまでだったら普通に普及してるのかなっていうのを調べようと思ったのが、この始まりなんですよ。
くだらないと思えるようなことを大真面目にやりたいなと。
実際は会長してますけど、会員僕だけなんで。
できたら若い人が一緒にやってくれると、とっても嬉しいなというふうに思います。

VOICE BEHIND THE VOICE

前田さんの原音

対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。

大真面目な「遊び」が、20年を支えた

くだらないと思えるようなことを大真面目にやりたいなと。

──組織の中で長く責任ある立場を務めてきた人が、その外側に、まったく利害のない「遊び」の領域を持ち続けてきた。会員ひとりの協議会、空席の広報部長。前田さんはそれを自嘲ではなく、心から楽しそうに語る。大げさな看板を掲げ、中身は真剣に。遊びだからこそ、誰にも頼まれずに 20 年続いた。仕事に全力を注ぎながら、自分だけの小さな宇宙を大切に育ててきた人の、軽やかな強さがここにある。

「元祖」を名乗らない人たちへの敬意

だから僕、結構それに感動したんですよね。

──名付け親かもしれない老舗が、確証がないからと元祖を名乗らない。その謙虚さに前田さんが心を動かされた理由は、鬼まんじゅうの本質と重なっている。おばあちゃんの手作りから始まり、街の小さな菓子店が黙々と作り継いできた菓子。前田さんが守りたいのは、看板や権利ではなく、そうした名もなき作り手たちの営みそのものなのだろう。研究とは、その人たちへの敬意の表し方でもある。

失われゆく味を、次の世代へ

その中の 40 件ぐらいがもうすでに廃業してるんです。

──20 年間記録してきた約 100 店のうち、約 40 店が姿を消した。数字は静かに、ローカルフードが置かれた現実を突きつける。それでも前田さんは悲観で終わらせない。サポーターを募り、試食会を開き、いつかはフェスを──。郷愁を語るだけでなく、未来に向けて仕組みをつくろうとしている。ひとりで始めた研究を、仲間とともに「普及」へと変える。前田さんの次の 20 年は、そこから始まる。

CLOSING

あの日の、一言

番組の最後、「あの日の、一言」を問いかけると、前田さんは一枚の紙を取り出した。「ちょっと読ませていただいていいですかね」。

かつての協議会ウェブサイトには掲示板があり、たくさんの投稿が寄せられていた。前田さんが選んだのは、20 年ほど前に届いた「鬼まんじゅうよ永遠に」と題された投稿だった。

うちの実家は名古屋駅の裏で鬼まんじゅうを作っています。製造のみで店舗はありませんので、そんなところで鬼まんじゅうを作っていることはほとんど知られていません。1 年中作っているので、僕の中では季節感もなく、いつもあるものです。でも、うちの親父が一つ数十円の鬼まんじゅうを黙々と作って、それで育てられたかと思うと、たかが鬼まんじゅう、されど鬼まんじゅうといった感じです。鬼まんじゅうよ永遠に。

店を構えず、前面に出ることもなく、卸として黙々と作り続ける。そんな作り手が、実はたくさんいる。

本当そういう意味では奥が深いと思い出したんですけど。

おばあちゃんから「お腹空いただろう」と手渡された、あの素朴なおやつ。その向こうに、名もなき作り手たちの人生がある。たかが鬼まんじゅう、されど鬼まんじゅう──。前田さんが 20 年かけて追いかけてきたのは、きっとこの一言の重みなのだ。