CHAPTER 01

原点 ── サラリーマン家庭に生まれた、経営への憧れ

四日市の老舗鰹節店を継ぎ、今はラーメン店の店主として厨房に立つ男。その出発点は、経営そのものへの素朴な憧れだった。

高校時代に経営したいなと。サラリーマン家庭でしたので、何か違うことをしたいなということで。

家業があったわけではない。継ぐべきものが何もないところから、川村さんは「経営する側」に立ちたいと願った。まず選んだのは、地域経済の現場を間近で見られる四日市商工会議所だった。10 年間、職員として勤め上げる。

CHAPTER 02

一年足らずで潰した、ベンチャー企業

安定した職場を得ていたはずの川村さんに、転機が訪れたのは 11 年目だった。

11 年目のときにベンチャー企業のお誘いがありまして、それで、いい意味で言うと辞めるきっかけができたということでございます。

インフラ整備を手がける会社の立ち上げに、事務方として加わった。しかし、集めた資本を食い荒らそうとする人間が出入りするようになり、会社は怪しい様相を帯びていく。

これはですね、何かちょっとうさんくさいようなことで、詐欺事件にあっているような感じですね。

10 年勤めた商工会議所の退職金を投じ、視察でアメリカやシリコンバレー、香港にまで足を延ばしていた川村さんは、ここで踏みとどまる。弁護士 2 人を立て、1 年足らずで会社の解散に踏み切った。

安定した職場を飛び出し、夢を見すぎて、そして自分の手で会社をたたんだ。会社がなくなれば、自分の居場所もない。他の役員には帰る会社があるが、川村さんにはなかった。

CHAPTER 03

「生かされて生きてるんだ」── 支えてくれた二人の言葉

会社を解散したあと、川村さんは自分の居場所を失った。当時の心境を、川村さんは静かに振り返る。

そこでどうしようかなと思って。自殺も考えるというか。どうしようかなって。

そんな 1 年間、報告と相談に乗り続けてくれたのが、中京防災システム株式会社の中林文雄会長だった。

川村君らしくないと。川村君の笑顔はどこへ行ったんやと。だからうちであの給料は出すけど、出勤もせんでもええと。笑顔になるまで、とにかく笑顔になったら戻ってきてくれと。

働かなくていい。ただ、笑顔を取り戻すまで待つ。この言葉に、川村さんはどれほど助けられたか分からないと語る。同じ頃、四日市商工会議所青年部の講演で出会った鈴木裕志氏(住友電装 元専務・四日市商工会議所顧問)からも、一つの言葉を受け取った。

生かされて生きてるんだと。だから思いっきり生きたらいい。

この二つの言葉が、経営が行き詰まるたびに川村さんを立て直す土台になっていく。

CHAPTER 04

義父の老舗を継ぎ、削り職人になる

商工会議所を離れ、事業に失敗した川村さんに次の道を開いたのは、妻の実家だった。義父である 3 代目・伊藤吉郎氏のもと、明治 25 年創業の老舗鰹節店に入社する。二足のわらじを避けるべきだという声もあったが、後継者不在の老舗を放っておけなかった。

2013 年、4 代目社長に就任。自ら「削り職人」を名乗り、鰹節を削る技術を体で覚えていった。教えてくれる人は、誰もいなかった。

教えてもらうことはなくて。これはですね、大阪の市場に行ったりとか、地元の老舗の鰹節店に行って、すいません、僕初めてなんでというようなことで教えてもらったり。

先代からの手ほどきだけでは足りないと感じ、自ら頭を下げて他店に技術を習いに行った。花鰹は生のまま、うどんや鰹の出汁に使う厚削りは一度煮てから柔らかくして削る。用途によって鰹節の削り方は異なり、川村さんはその一つひとつを体得していった。

CHAPTER 05

半年で潰れかけた、ラーメン店

きみちゃんら〜めんの構想は、四日市の「444」イベントでの屋台出店から生まれた。売り子として立った経験が忘れられず、翌年は有給休暇を取って自ら出店。やがて商店街の空き店舗を借り、2012 年 6 月、7 坪の小さな店を開いた。

しかし、開業直後から苦戦した。チャーシューも煮卵もイベント時代の仕入れ品のままで、味が伴っていなかった。

こんなチャーシュー使っとったら通用せんぞと。

そう指摘され、川村さんは同業の先輩ラーメン店主のもとへ、頭を下げて教えを乞いに行った。出汁の取り方、チャーシューのタレの継ぎ足し、煮卵の茹で時間まで、一から学び直した。半年間売り上げが立たず、店をたたもうかと考えていた矢先の出来事だった。

CHAPTER 06

もったいない精神が生んだ、フードロスゼロの一杯

きみちゃんら〜めんの出汁には、もう一つの物語がある。鰹節を削る過程でどうしても出る、商品にならない部分。廃棄するか、飼料にするしかなかったその部分を、川村さんはラーメンの出汁に活かした。

もったいない精神でですね、それを自分なりにラーメンに入れて、だしを作ってやって。

このもったいない精神の原点は、幼少期の記憶にある。母親は、食パンの耳ではなく、パンの側面の薄切り部分ばかりを買ってきては、川村さんに食べさせていたという。

だけどそういうようなもったいない精神があって、それで鰹節の捨てるようなところを再利用して、ラーメン屋の出汁に使うというようなことも一つなんですけど。

今では、鰹節を削った際の副産物を「福かつおの粉」と名付けて商品化し、ラーメンや冷やし中華に活用している。ネギ、煮卵、スープに至るまで、きみちゃんら〜めんは廃棄ゼロを掲げる。仕入れも提供量もデータで管理し、いわゆる「どんぶり勘定」を徹底して排除している。

CHAPTER 07

無借金経営と、商店街への恩返し

川村さんの経営哲学の柱は、無借金経営である。

いわゆる手のひら経営、身の丈経営。これを絶対せんとも会社潰れるかな、なくしてしまうかなというふうに思って取り組んでます。

大きな借金は、ラーメン一杯を売って得られる利益とは釣り合わない重荷になる。だからこそ、規模に見合った経営を貫く。

四日市諏訪西商店街振興組合の理事長、四日市二番街発展会の会長も務める川村さんは、コロナ禍に地元・四日市の商店街を守るため、先払い券プロジェクトに奔走した。1 万円につき 40% を上乗せする仕組みで、全国から 3 億円が集まったという。かつて四日市で働き、商店街に癒された経験を持つ人々からの支援が相次いだ。

これって先代の方々が、本物のおもてなしをしていたからこそ、全国に戻られてもこの四日市の商店街、これは絶対大事なんですぞということで、助けてくれたのが本物のおもてなし。

スペイン、南アフリカ、エジプトと旅を重ねる中で川村さんが行き着いたのも、同じ「本物」という言葉だった。文化の融合した教会、大自然そのものの動物園、本物のピラミッド。作りものではない本物こそが、世界中から人を呼び寄せる。商店街もまた、本物のおもてなしがあってこそ生き残る──それが、川村さんの信じる街づくりの核心である。

VOICES

名言

生かされて生きてるんだと。だから思いっきり生きたらいい。
川村君らしくないと。笑顔になるまで、とにかく笑顔になったら戻ってきてくれと。
もったいない精神でですね、それを自分なりにラーメンに入れて、だしを作ってやって。
人生の喜びは、人との出会いと経験の数に比例する。

VOICE BEHIND THE VOICE

川村さんの原音

対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。

「笑顔になるまで、戻ってこなくていい」

川村君らしくないと。川村君の笑顔はどこへ行ったんやと。だからうちであの給料は出すけど、出勤もせんでもええと。笑顔になるまで、とにかく笑顔になったら戻ってきてくれと。

──事業を 1 年足らずで解散し、居場所を失った川村さんを救ったのは、働けという言葉ではなかった。中林文雄会長がかけたのは、ただ笑顔を取り戻すまで待つという言葉だった。成果でも謝罪でもなく、その人らしさが戻るのを待つ。この経験が、川村さんの経営における「人」への向き合い方の土台になっている。

もったいないから、生まれた一杯

もったいない精神でですね、それを自分なりにラーメンに入れて、だしを作ってやって。

──鰹節を削った際に出る、商品にならない部分。捨てるはずだったものが、きみちゃんら〜めんの出汁の核心になった。その原点は、幼い頃、食パンの端の薄切り部分ばかりを食べさせられていた記憶にある。もったいないという感覚は、後年フードロスゼロの経営として結実する。時代の課題を先取りしていたのではなく、家庭の習慣がそのまま経営哲学に育っていった

本物のおもてなしが、街を守る

これって先代の方々が、本物のおもてなしをしていたからこそ、全国に戻られてもこの四日市の商店街、これは絶対大事なんですぞということで、助けてくれたのが本物のおもてなし。

──コロナ禍、四日市の商店街を守るために立ち上げた先払い券プロジェクトに、全国から 3 億円が集まった。かつて商店街で癒された記憶を持つ人々が、遠方から支援を寄せたのだ。スペインやエジプトへの旅で目にした「本物」の文化や自然と同じように、作られたものではない本物のおもてなしこそが、人を呼び戻す力を持つ。川村さんが商店街の未来に見ているのは、その一点である。

CLOSING

あの日の、一言

人生の喜びは、人との出会いと経験の数に比例する

── 川村 公博さんの座右の銘

収録現場では、川村さんのこれまでの歩みを経た上で、改めて問いかけた。これまでの人生で受け取った、忘れられない一言について。

まああのこれはですね、僕の座右の銘の一つ、人生の喜びは、人との出会いと経験の数に比例するということでございます。あの成功ばっかじゃなくてですね、痛い目にあってもですね、それも経験ということで幸せ喜びに変える。そして人との出会い、今日、塔子さん初めて会いましたけれども、こういうような出会いをですね、いっぱいであってですね、あの幸せ喜びを感じていただける人生を送ったらなというふうに思っております。

私、ラーメン屋を通じて多くのお客さんが来ます。ですから多くのお客さんと、一期一会という形で、一瞬一瞬を大切にして、ラーメン屋一筋に尽きる人生を、これからも楽しんでいきたいと思いますので、もしラーメン屋する方がおったら言ってください。いろいろと教えます。

謙虚、感謝、努力。三拍子揃った経営を、今日も四日市の小さなラーメン屋から、川村さんは続けている。