原点 ── 6 歳のカート、ガソリンの匂いの中で
PRESIDENT STATION 224 回目のゲストは、20 歳。番組史上最年少の登場である。
河内さんがカートと出会ったのは、6 歳の頃だった。車好きの父親に連れられてカート場に行き、初めてハンドルを握った。
走ってみて、これ面白いってなって。
そこから始まった。大会にエントリーし、勝ち進むとカテゴリーが上がっていく。レーサーへの道は、そういう仕組みだった。
カートは、地面と体の距離が近い。時速 80〜90 キロで走るが、体感速度はその 3 倍近くになると河内さんは言う。ヘルメットをかぶった小学生が、実際のサーキットを全力で走り抜ける。それが、彼の放課後だった。
目標は、明確だった。F1 ドライバー。
佐藤琢磨選手の「マインド」が、心に刺さった
小学 6 年生のとき、人生を変える機会が訪れる。
元 F1 ドライバー・佐藤琢磨選手が主催する「TAKUMA KIDS KART CHALLENGE」。全国各サーキットでのタイムアタックを経て上位 70 名が鈴鹿に集結し、さらにレースを行って上位 10 名だけが 1 泊 2 日のアカデミーに参加できる。
河内さんは、その 10 名に選ばれた。
鈴鹿サーキットで、佐藤琢磨選手から直接指導を受ける。しかし河内さんが最も深く受け取ったのは、ドライビング技術よりも別のものだった。
僕が一番感動したのは結構マインドの部分で。
佐藤琢磨選手は、大学生からレースを始めて F1 ドライバーになった異例の経歴を持つ。通常の書類選考を通過できないため、面接を直談判して入り込んだ。実績がなければ、交渉で扉をこじ開ける。そういう生き方の連続だった、と語った。
そういうのの連続だったんだよみたいな話があって。
技術の話よりも、その生きざまが、10 歳の河内さんの心に刺さった。
日本 2 位で、スパッと辞めた
中学 1〜2 年生のころ、河内さんは世界大会をかけた戦いに挑んでいた。当時の日本代表枠は 1 名。優勝しなければ、世界には行けない。
アカデミーで同席していたライバルがいた。圧倒的な速さを持つその選手に、河内さんはどうしても勝てなかった。
ずっと勝てず。
日本で 2 位──それでも、世界への扉は開かなかった。
ここで河内さんは、ある判断を下す。
このカテゴリーで一番にならないと上位カテゴリーで通用しない。
カートはお金のかかるスポーツだ。ステップアップには相当の資金が必要で、河内さん自身も家庭の事情を率直に認めている。日本 2 位という結果を受け、本人と家族でひとつの結論を出した。
一回趣味程度にしようかっていう。
中学 2 年生で、スパッと切り替えた。次のターゲットは、高校受験。「自由なところに行きたい」と思い、渋谷教育学園幕張高等学校を調べ、「ここに行こう」と決めた。
潔さは、この人の一貫した特徴である。
「天井のないところで勝負したい」── 起業という選択
高校を経て、慶應義塾大学理工学部管理工学科へ。受験では東京大学を受けたが合格せず、慶應に入学した。本人は「若干の悔しさもあった」と語る。
しかしその悔しさが、ある決意を生んだ。
もともと何か大きいことしたいというか、天井がないところで勝負がしたいなと思っていたので。
大学 1 年生からスタートアップでインターンを始め、偶然にもその会社は AI 系だった。ChatGPT の最新モデルが登場したばかりの頃で、触れるたびに驚かされた。
こんなに賢くなるんだっていう。これはもしかしたらすごいことになるかもしれないなっていうのは感じていたので。
「山を張るんだったら AI がいいかもしれない」──そう判断した。
大学 1 年の頃に友人と最初の起業を経験。事業としてはうまくいかなかったが、共同創業者から学んだことは多く、今も定期的に相談する関係が続いている。その後、2024 年 12 月に株式会社 PolePosition を設立。社名は、F1 予選のトップタイムを叩き出した車だけが立つスタート最前列、「ポールポジション」から取った。
カートで培われた美意識が、会社の名前になった。
AI 秘書が、収録中も働いている
PolePosition の事業は、AI 受託開発と AI コンサルティングだ。企業の課題をヒアリングし、そこに最適な AI システムを開発して届ける。構想からプロトタイプ作成、運用定着まで一貫して伴走する。
河内さん自身もまた、自社を AI 前提のオペレーションで組み直している。その象徴が、個人用の「秘書 AI」だ。
自分の情報すべて読み込んで、自分がよく使うようなアプリケーションをすべてつなげてあるので、僕がやったことすべてを知ってる状態なので。
収録当日、河内さんはこの秘書 AI にミッションを与えてスタジオ入りした。ラジオに出ている間も、AI は裏で仕事をし続けていた。
クライアントへの導入事例で象徴的なのが、顧客対応の AI 化だ。5 名が張り付いて対応していた公式 LINE の問い合わせを、AI チャットボットに置き換えた。業界のコンサルティング・ノウハウをすべて学習させてあるため、返答の質は人間のそれとほぼ変わらない。しかも 24 時間稼働する。
向こうからしたら 4 人をより売り上げを上げれる部署に移せる。
削減ではなく、配置転換。AI が定型対応を担うことで、人間はより付加価値の高い仕事に集中できる──これが河内さんの描く使い方である。
「怖い」と言える、若き経営者
AI 事業の急拡大を語りながら、河内さんは「助かっている」と同時に「怖い」とも口にした。
怖い部分は、スタートアップが作ったツールやプロダクトを、OpenAI や Google がミニ機能として出してしまって「これでいいじゃん」ってなること。
受託開発でシステムを作り、プロダクト化して売り出そうとした矢先に、大手が同等の機能を月数千円で提供し始める。これが、ここ半年で急速に起きていると言う。
本当にどこに何を作ればいいんだろうっていうのが結構怖いなっていう部分ですね。
その怖さを、20 歳は正直に語った。同時に、こうも言った。
そんなに恐れはないというか。面白そうだなぐらいですか。
時速 90 キロのカートを 6 歳で走った人間は、スピードの怖さをどこかで体に刻んでいる。AI 時代の変化のスピードは、そのときと同じくらい、むしろ面白い、と感じているらしかった。
ヒアリングシートで本人が書いた言葉がある。「AI 受託開発というビジネスモデル自体は、これから急速にコモディティ化していく」──その先へどう移行するかが、今最大の問いだ、と。20 歳の経営者は、自社の限界を自分で診断している。
「気合」が、一番大事だと言う AI 経営者
AI 会社の社長が、最も大事にしていることは何か。
僕が一番大事にしているのはとりあえず行動というか、それこそ営業だったりとか。テック系に見えて結構熱く、気合が一番大事だという話ばっかりしているので。
スタジオで川越塔子は「ちょっと予想外」と笑った。AI を扱うから、冷静で客観的な経営スタイルを想像していた。しかし河内さんは違う。メンバーにも、「とにかくやってみないとダメだぞ」と繰り返し伝える。
まずできる検証は AI にやらせて、でも実際に営業してみないとわかんないよねとか、電話かけてみようとか、とりあえず飛び込んでみるかみたいな。
AI が広げ、検証し、その先に人間が飛び込む。これが PolePosition の動き方だ。
そして今、河内さんはかつての宿敵を応援している。世界大会の日本代表枠を争ったライバル──濵邊誠己選手、18 歳。今年からトヨタの育成プログラム「TGR ドライバー・チャレンジ・プログラム」に加わり、F4 レースに出場し始めた。二人は今も毎日 LINE を続ける仲だ。
河内さんは、その選手のスポンサーに名乗りを上げた。
この子が F1 に行った時に横で見たいなっていう感じなので。
日本 2 位で退いたカートの世界に、別の形でまだいる。そしていつか、自分もチームを買ってドライバーとしてレースに戻る、と言った。事業を大きくして、その資金を作る。カートも、AI も、河内友希というエンジンは、まだ全開手前だ。
VOICES
名言
no attack no chance。アタックしないと、チャンスはないよ。
AI は文句言わないし、労働基準法にも引っかからないから。
テック系に見えて結構熱く、気合が一番大事だという話ばっかりしています。
この子が F1 に行った時に横で見たいなっていう感じなので。
VOICE BEHIND THE VOICE
河内さんの原音
対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。
no attack no chance
アカデミーの時、小学 6 年生の時ですね。佐藤琢磨選手から受け取った言葉で。
──河内さんは、ヒアリングシートで正直に書いている。「人生を貫く一言というほど大層なものは自分にはまだない」と。だからこそ、この言葉の重さがリアルだ。受け取った直後は応えきれず、F1 への道も断念した。しかし 20 歳で AI 業界の最前線で動き続ける今、「別の形であの言葉に応えようとしている部分があるかもしれない」と語る。少年が受け取った一言は、10 年かけて、じわじわと生き方に滲み込んでいた。
AI と「気合」の共存
検証は人工知能、でも飛び込むのは人間。
──AI の使い方について、河内さんの論理は一貫している。情報収集、検証、選択肢の列挙──これは AI に任せる。しかし「経営判断」と「実際に動くこと」は、まだ人間の領域だと言い切る。テック系経営者なのに「気合が一番」と言う言葉は矛盾に聞こえるが、実は最も正確な認識だ。AI は武器であり、武器を振るうのは人間。河内さんはその境界線を、理屈ではなく実践の中で掴んでいる。
宿敵を、スポンサーする
当時のライバルの子が F4 に出ていて、今も毎日 LINE するぐらい仲良くて。
──日本 2 位で涙を飲んだあの選手と、今も毎日連絡している。かつて勝てなかった相手を恨むのではなく、応援し、スポンサーに名乗り出る。この関係性に、河内友希という人物の本質が表れている。競争は終わらない。ただし競争相手は、敵ではなく、自分を引き上げてくれる存在だ。自分が F1 チームを買ってドライバーとして戻る夢も、そのライバルが F1 に到達するまでという「締め切り」と重なっている。
CLOSING
あの日の、一言
今日ここまでお話しいただいて、改めてお聞きします。あなたにとっての「あの日の、一言」は、どんな言葉ですか。
小学 6 年生のとき、佐藤琢磨選手のアカデミーで受け取った言葉です。
no attack no chance
アタックしないと、チャンスはない。
正直なところ、当時は応えきれなかった言葉です。その後、F1 への道も断念することになりました。ただ今、AI 業界の中で次の波を作りに行こうと動いているのは、別の形でその言葉に応えようとしている部分があるかもしれない、と思っています。
会社のメンバーにも、いつも言っています。まずアタックしよう。飛び込んでみよう。検証は AI にやらせればいい。でもその先に飛び込むのは、自分たちだ、と。
佐藤琢磨選手から受け取ったその言葉が、今も自分の中で走り続けています。