原点 ── 「2、3 年で辞める」はずだった一般職
エグゼクティブの右腕として活躍する経営コーチが、そのキャリアを「2、3 年で終わるはずだった」ところから始めたと聞いて、意外に思う人は多いだろう。
家から近い会社に通いたい──。本合さんが大手産業機械メーカーを選んだ理由は、そんな素朴なものだった。大田区出身の本合さんにとって、地元にあるその会社は、通勤に都合がよかった。
入社は、一般職。当時の女性にとって、それはごく普通の選択だった。
当時就職の面接では、何年くらい勤めますかっていう質問に対して、2、3 年で結婚して辞めるとか、または出産の時に辞めますっていう回答が、良い答えと言われていた時代なので。
数年で結婚して辞める。そういう前提で、社会人生活が始まった。本合さん自身も、そのつもりだった。
しかし、現実は違った。仕事は楽しく、周囲にも恵まれた。やりがいのある仕事を次々と任され、本合さんはこの会社に、34 年間身を置くことになる。
最初の想定の、10 倍以上。そのきっかけを作ったのは、本合さん自身の力と、それを見ていた周囲の目だった。
25 歳の総合職転換 ── 「君は向いている」と背中を押された
人生が動いたのは、25 歳のときだった。
男女雇用機会均等法の流れの中で、上司が本合さんに声をかけた。「総合職に転換しませんか」──辞めることを期待される空気ではなく、続けることを後押しする一言だった。
やっぱり女性の管理職を増やしたいというのと、仕事にモチベーションを持っている女性に声をかけていたのかなというのは、当時思います。
本合さんは、この提案を受けた。総合職への転換。それは「ずっと勤める」という選択でもあった。安定した会社、楽しい仕事、良い人間関係──続けない理由は、なかった。
最初に任されたのは、技術報の企画編集だった。技術者に論文を書いてもらい、それをまとめて発行する仕事。職人肌・研究肌の技術者たちと向き合いながら、本合さんは持ち前のコミュニケーション力を発揮していく。
いろんな方とコミュニケーションを取らせていただくということで、すごく自分も勉強しながら編集して、ものが出て発行されていく。お客様から問い合わせが来るという、そういった一貫した流れで目標があって。
期限までに仕上げ、次の号へ進む。その手応えが、本合さんには楽しかった。技術者たちのモチベーションを上げながら、いかに早く原稿を手元に集めるか。それは、後の「右腕」としての仕事の原型でもあった。
一度落ちて、部署を変えて、合格した
本合さんのキャリアは、まっすぐな昇進の連続ではなかった。
管理職試験を、一度落ちている。本合さんは、そのことを隠さない。
一度元の部署で管理職試験を受けて落ちてしまったので、違う部門に移動して、管理職の試験を受けて合格したという経緯があります。
異動した先が、知的財産部の商標部門だった。第二次安倍政権下で「女性管理職を増やそう」という機運が高まる中、本合さんは、その流れの一員として管理職に合格する。
男女雇用機会均等法で総合職になり、政権の後押しで管理職になった──本合さんは、時代の追い風を正直に認める。けれど、追い風だけで 34 年は勤め上げられない。落ちても、場所を変えて、また挑む。一度の不合格を、終わりにしなかった。この粘りが、後の独立を支える土台になっていく。
そして、この知財部門との出会いが、本合さんの人生を大きく変えることになる。
世界 175 カ国・1100 件 ── 商標のプロが、独立した
知的財産部で、本合さんは商標の仕事に打ち込んだ。
会社の中の製品やサービスに名前をつけて登録するという仕事を、世界 175 カ国に 1100 件くらいやった経験があるんですね。
日本だけではない。世界中で商標を登録する。訴訟をすることも、訴訟されることもあった。他人の商標を奪うことも、奪われることもあった。10 年を超えるキャリアの中で、本合さんは商標実務の酸いも甘いも知り尽くした。
転機は、転勤の話だった。
その当時転勤するという話があって、だったらずっとコーチングを勉強していたので、コーチングで起業してみようかなと。
実は本合さんは、2010 年から 14 年ほど、コーチングを学び続けていた。いつか独立したい──その思いと、転勤という外圧が重なったとき、本合さんは 34 年勤めた会社を辞める決断をする。56 歳のことだった。
会社名は Right・Hand(ライト・ハンド)。困っている人の「右腕」になりたい、という思いを込めた。
コーチングや商標のことを通して、困っている人の右腕になりたいなというのがあって、右腕、ライトハンドという名前にしました。
独立して初めて、商標が「仕事になる」と気づく。最初は、自分が学んでいたソウルリーディングの先生のために、その言葉を商標登録してあげただけだった。ところが、それを見た人から依頼が次々と舞い込んだ。
やってあげているうちに、あれ、こんなに喜ばれるんだと思って。
会社で 10 年磨いた専門性が、独立後、思いがけない形で人の役に立ち始めた。
ドSコーチング® ── 弱みを、登録商標に変える
本合さんの名刺には、一際太い文字で、ある言葉が刻まれている。「ドSコーチング®」。Rマーク付きの、れっきとした登録商標だ。
コーチングといえば、受け入れ、承認し、励ます──優しいイメージがある。なぜそこに「ドS」なのか。
きっかけは、本合さん自身が受けていた、ある評価だった。
私が気づいたその方が、本人が気づいていないようなことをズバッと一言お伝えすることがあるんですよ。なかなかご本人が受け入れがたい場合もありまして。厳しいというフィードバックをいただくことが多くて。
「厳しい」と言われる。コーチとして、これは弱点に見える。本合さんは悩んだ。けれど、ここで発想を反転させた。
弱みは強みだっていうところで、それをどう自分でブランディングしていくか。
厳しさを、隠すのではなく、看板にする。「最初から厳しいですよ」と宣言してしまえば、覚悟を持った人だけが集まってくる。そうして生まれたのが「ドSコーチング®」だった。商標を取ると、効果はすぐ表れた。
なんか今日は優しかったですねって(言われる)。
ビシビシ言ってもらうつもりで来る人は、少々の厳しさを「優しい」と感じる。弱点だったはずの「厳しさ」が、ブランドになった瞬間だった。本合さんはこれを、自分のサービスの「お手本」にしている。商標は目立たせて使うのがセオリーだから、名刺でもあえて太字で際立たせる。「こうやって商標は使うんですよ」という、生きた見本なのだ。
ネガティブの中に、種がある
本合さんのブランディング論は、独特だ。一般的には、良いところ・売りたいところを前面に押し出す。本合さんは、逆を見る。
6 割ぐらいネガティブの方に可能性があるっていうふうに、お話を聞くときには聞くようにしてます。
苦情が多い。ここで困っている。何かやろうとすると、ここが課題になる──そうしたネガティブ要因の中にこそ、実はキラッと光る種がある。ドSコーチング®が、まさにその実例だった。
大概マイナス点は見たくないとか、触れられたくないとか防御したりするんですけど。
マイナス点から目を逸らさず、現実を直視し、掘り下げる。難しいことのようだが、本合さんはこう言う。
難しいんじゃなくて、慣れてないだけだと思う。
そして、「右腕」の本領は、コーチングだけにとどまらない。本合さんが特に大切にしているのが、人を紹介するというスキルだ。経営者は孤独で、相談相手がいない。そこに、異業種の誰かをつなぐ。
この人にはこの人を紹介すると、何か化学反応が起きるんじゃないかっていう。私の知っている誰かを紹介することによって、その方の人生が大きく好転していくということを、たくさん経験させていただいた。
この「人を紹介する」という発想を本合さんに授けたのが、師と仰ぐ本間正人氏(らーのろじー株式会社代表取締役、NPO 法人学習学協会代表理事)だった。本間氏は松下政経塾 3 期生で、日本にコーチングを広めた第一人者でもある。人と人との出会いが人生を変える──その確信が、本合さんの「右腕」としての仕事の根にある。
マッチングは、いつもうまくいくとは限らない。けれど本合さんは、うまくいかなかったことすら肯定する。なぜ合わなかったのか。そこに、その人の価値観や課題が現れる。失敗もまた、コーチングの材料になる。
開運の正体は、素直さ ── 全部、受け入れる
本合さんのサービスには「開運商標登録サポート」という名がついている。なぜ「開運」なのか。その答えは、彼女が敬う先達の言葉にあった。
会社名「ライト・ハンド」には、本合さんが意図しなかった意味が、後からいくつも宿った。右腕(ミギウデ)のつもりが、ライト=権利、ライト=明るい、ライト=正しい、ライト=軽い──。
自分は右腕でつけたんですけど、後からいい意味がたくさんあったなって。なんか好循環で。
この「後からいい意味が宿る」感覚こそ、開運だと本合さんは言う。そして金子は、それが松下幸之助の説いた「開運」の考え方と重なる、と応じた。
運が強いんやと。それは何かと言うと、素直になって、いいのも悪いのも全部受け入れる。
良いことも悪いことも、全部受け入れる。その心境が「素直」であり、開運につながる。けれど、人はなかなか全部を受け入れられない。本合さんは、自分自身についても正直だった。
素直が大事だって言いながら、自分が素直じゃないって、自分でも気づいていました。
素直に、現実を受け入れる。弱みも、失敗も、ネガティブも。そこから種を見つけ、ブランドに変えていく。本合さんが商標とコーチングを通じてやっていることは、突き詰めれば、この一点に集約される。
今、本合さんは学生からビジネスリーダー、エグゼクティブまでを一気通貫で支える未来を描く。
皆さんの中の風通しをよくしていくことによって、皆さんが豊かに成長して活躍できるような社会を作っていきたい。
会社員時代、たくさんの「右腕」に支えられて歩んできた本合さんは、今度は自分が、誰かの右腕になろうとしている。
VOICES
名言
弱みは強みだっていうところで、それをどう自分でブランディングしていくか。
ネガティブ要因の中にも、実はキラッと光るものがある。
難しいんじゃなくて、慣れてないだけだと思う。
素直になって、いいのも悪いのも全部受け入れる。
VOICE BEHIND THE VOICE
本合さんの原音
対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。
弱みを、ブランドに変える
厳しいというフィードバックをいただくことが多くて。弱みは強みだっていうところで、それをどう自分でブランディングしていくか。
──「厳しい」はコーチにとって弱点だ。普通なら、隠すか、直そうとする。本合さんは違った。弱点を看板に掲げ、登録商標にしてしまった。「ドSコーチング®」と宣言すれば、覚悟を持った人だけが集まる。弱みは、隠した瞬間に弱みのままだが、宣言してしまえば差別化の武器になる。商標のプロだからこそ辿り着いた、逆転の発想である。
一度落ちて、場所を変えて、また挑む
一度元の部署で管理職試験を受けて落ちてしまったので、違う部門に移動して、管理職の試験を受けて合格した。
──本合さんは、管理職試験に一度落ちたことを、淡々と語る。隠さない。けれど、落ちたまま終わらせもしない。場所を変えて、また挑んだ。そして異動先が、後の独立を支える知財・商標部門だった。挫折が、結果的に天職への扉になっている。うまくいかなかった経験を、次の一手の材料にする──これは本合さんのコーチング哲学そのものでもある。
ネガティブの中に、種がある
6 割ぐらいネガティブの方に可能性があるっていうふうに、お話を聞くときには聞くようにしてます。
──多くのブランディングは、強みを磨く。本合さんは、ネガティブを 6 割の比重で見る。苦情、悩み、課題──見たくないものの中にこそ、その人だけの種があるからだ。これは商標実務で培った目線でもある。差別化できる「ユニークさ」は、しばしば本人が弱点だと思い込んでいる場所に眠っている。現実を直視することは、難しいのではなく、慣れていないだけ。本合さんは、そこに右腕として伴走する。
CLOSING
明日への誓い
今日はお招きいただき、ありがとうございました。貴重な時間でした。
私は、人が本来持っている可能性や願いに気づき、自分らしい人生やキャリアを描いていく力が、社会に広がっていくことを発信していきたいと思っています。
人生やキャリアは、人との出会いや対話を通じて、自分の想像を超える世界へ広がっていくものだと感じています。これまで多くのビジネスパーソンやリーダーのキャリア支援に関わってまいりました。コーチングでは、目の前の課題だけでなく、その人の奥にある願いや価値観に光を当て、本当に望む人生やキャリアを言葉にしていく対話を大切にしています。
これまでの人生で経験してきたほろ苦い出来事や、人には言いにくい体験の裏側にも、その人らしい願いや可能性が隠れていることが多いと感じています。それらを丁寧に紐解きながら、その方が本来持っている力を引き出し、自分らしい選択へ進んでいくプロセスに伴走していきたいと思っています。
また現在、商標コンサルタントとしても活動し、ブランドや事業の価値を守る知的財産の視点から、個人や企業が安心して自分たちの価値を社会に届けていくことを支援してまいります。
人生やキャリアは、人との出会いで想像を超える未来が広がっていると信じています。これからもその人の可能性を信じ、その可能性が社会の中で輝くことを願い、発信と実践を続けてまいります。
本日は、ありがとうございました。