CHAPTER 01

原点 ── 褒められたことが、一度もなかった

藤岡さんの原点は、輝かしい成功譚ではない。

29 歳まで会社員をやってたんですけれども、本当に得意なことがなかったというか、何をやっても怒られたりとか、何をやっても褒められたことがなかったんですよ。

仕事は一生懸命やる。けれど、結果がついてこない。そんな会社員時代を過ごした藤岡さんに、あるとき恩師と呼べる人物との出会いが訪れる。その一言が、後の事業のすべての土台になる──それは、番組の終盤「あの日の、一言」で改めて語られることになる。

CHAPTER 02

京都から、三重へ ── 一冊の本がくれた縁

会社員を辞めた藤岡さんは、個人事業主としてデザインの仕事を始めた。転機は、2011 年に京都で出版した一冊の本だった。

2011 年に、京都で本を出版した経験がありまして、その時に出版記念の講演で東京、大阪、名古屋、福岡で話をさせていただく機会があったんですが、そこの名古屋の講演会に今の妻が来てまして、そこで知り合いまして。

京都で商売をしていたが、なかなかうまくいかなかった。妻との縁をきっかけに、2017 年、藤岡さんは三重県四日市市へ移住する。

僕も新しい景色、新しいところで活動したいなということで、妻のいた四日市のほうに思い切ってきたというのが経緯でございます。

得意なことがなかったと語る男が、新天地を求めて動いた最初の一歩だった。

CHAPTER 03

コロナ禍の孤独から生まれた、無料コミュニティ

四日市で個人事業主としてデザイナーを続けていた藤岡さんに、コロナ禍が訪れる。人と会えない、外に出られない──その閉塞感の中から、新しい発想が生まれた。

やっぱりなかなか人と会えなかったりとか、外に出れなかったりとかしていく中で、何か SNS を使ってコミュニティができないかなっていうのを思いついたんですよ。

同じように時間を持て余す人たちが集まれる場所を作りたい。しかし、共通の趣味や関心事でなければ人は集まりにくい。そこで藤岡さんが目を付けたのが、当時ほぼ全員が持っていながら、使いこなせているとは言い難かった「スマホとパソコン」だった。

当時やっぱりスマホのアプリ、これが本当にどういうふうに使っていいのかとか、パソコンもどのように使っていいのかってわからないという声が多かったので、それをみんなで集まって、こういう使い方できますよみたいなのを、週 1 回ぐらい集まってコミュニティ化した。

これが「スマパソラボ」の始まりである。年会費は無料。迷惑メールの見分け方から、新しいアプリの使い方まで、日々の困りごとを共有する場として育っていった。現在、Facebook 上には約 400 名が参加。年齢層は 30 代から 50 代が中心で、7 割が女性だという。

イメージは男の社会かなと思ったら違う。

金子のこの驚きに、藤岡さんは静かにうなずいた。「困りごとを聞ける場所」という発想が、性別や年齢を問わず人を引き寄せた。

CHAPTER 04

「餅は餅屋」── 得意な人につなぐ、というビジネス

スマパソラボの運営を通じて、藤岡さんはあることに気づく。

本当に得意なことと不得意なことっていうのは人それぞれだなと思ったんですよ。例えば A さんがすごい苦手としていることでも、B さんがそれをめちゃくちゃ得意だったりとか。

この気づきを、藤岡さんは仕事にも転用できないかと考えた。ホームページ制作を依頼したい人がいる。一方で「この部分は得意だが、この部分はできない」というデザイナーやクリエイターも数多くいる。両者をつなげば、仕事として成立するのではないか。

この方たちにお仕事を振ったら、結構一生懸命やっていただいて、仕事として成立するようになったんですよ。

こうして 2024 年、株式会社 Life Size が設立された。一般的なデザイン会社のように社員デザイナーを抱えるのではなく、全国に住む主婦や元デザイナーなど、自宅の空き時間を仕事にしたい人材とクライアントをつなぐ「ハブ」に徹する会社である。

設立から 2 年、メンバーは 30 名から、スポットで関わる人まで含めると 50 名ほどに拡大した。手がける領域はウェブデザインから名刺・チラシ・飲食店のメニュー表といった紙媒体、動画、ライティングまで幅広い。受注の 8 割は口コミ・紹介だという。価格については、従来の印刷会社・デザイン会社に依頼するケースと比べ、体感で 7 割程度に収まるとする。

登録するデザイナーの 9 割以上は女性だという。子育てとの両立など、フルタイムでは働けない事情を抱える人材にとって、在宅というスタイルが選ばれている実態が見える。

CHAPTER 05

「僕がやるより、うまくいく」── 裏方に徹すると決めた理由

なぜ藤岡さんは、自らデザインを手がけるのではなく、人と人をつなぐ役割に徹するようになったのか。理由は、自身のデザイナーとしての限界にあった。

私自身がもともとデザインをやってたんですが、本当に独学でやってたと言いますか、要はデザイナーを名乗ってるのに、デザインが決して得意ではなかったんですよ。

お客様の要望に、自分のスキルが追いつかなくなる場面が増えていった。困った藤岡さんは、知り合いのデザイナーに仕事を振ってみた。すると──

僕がやるなんかよりもすごい短い時間で、ものすごい高いクオリティのものを出していただいて、かつお客様が喜ばれるわけですよね。これだと思った時に、自分がやっちゃダメだと思ったんですね。

得意な人に託したほうが、すべてがうまくいく。デザインスキルはあっても、営業が苦手だったり、お客様に押し切られて値下げしてしまったりするクリエイターは少なくない。そこを補い、つなぐ役割に徹する──それが藤岡さんの選んだ立ち位置だった。

CHAPTER 06

父の一言から生まれた、「親への 100 の質問」

Life Size の設立と時を同じくして、藤岡さんはもう一つの事業を立ち上げている。合同会社「親への 100 の質問」である。きっかけは、父の体調不良だった。

私の父がちょっと体調を悪くした時に、今まだ健在なんですけど、全然父のこと知らないなと思ったんですよ。

母に質問を紙に書いて聞いてみると、知らなかったことが次々と出てきた。この気づきをサービス化したのが、あらかじめ 1000 問を用意し、その中から 100 問を選んで親にインタビューし、冊子・動画・音声として記録するというサービスである。子から直接聞くと照れが出てしまう話も、第三者がインタビュアーとして入ることで、本音が引き出されるという。

1 年かけて納品、価格は 40 万円ほど。昨年 10 月の会社化以来、口コミのみで年間 6 件ほどのペースで受注している。最後の質問は必ず「今、幸せですか」で締めくくられる。

両親の幸せってなかなか考えないですよね。

金子のこの言葉に、藤岡さんは深くうなずいた。この事業を始めてから、自分自身が両親に思いを馳せるようになったのだという。

CHAPTER 07

断るのが苦手な男が見つけた、「みえの虎」という居場所

藤岡さんは、経営者向けの交流会が苦手だったという。

なかなか経営者の交流会ってたくさんあるんですね。あるんですが、ほとんどの交流会が、仕事をもらいに来てると言いますか、自分を売りに来てる方が多い。

断るのが苦手な藤岡さんは、そうした場で頼まれごとを断れず、抱え込んでしまう傾向があった。だからこそ思いついたのが、「物を売りたい人」ではなく「発注したい人」が集まる場をつくれないか、という発想だった。この仮説をもとに始まったのが、三重県の経営者が学び合うコミュニティ「みえの虎」である。

今年の 1 月から始まったコミュニティで、半年で 30 名ほどが参加。活動は大きく二本柱で、名刺交換や成功事例の共有を行うリアルの交流会と、半年間・月 1 回集まる経営者向けの勉強会である。勉強会の目的は明快だ。

まず売上を 2 倍にする。既存売上 2 倍っていうのが目的になって。

主催は動画制作会社を経営する竹内浩一氏。自らの成功体験をもとに、毎月グループ内で進捗を確認しながら実践を重ねる。会員には飲食店経営者からスポーツチームのオーナー、不動産関係者、インフルエンサーまで、多岐にわたる顔ぶれが集う。そのすべてが、藤岡さんが積み上げてきた「得意な人と不得意な人をつなぐ」という発想の延長線上にある。

VOICES

名言

得意なことがない人はいない。全ての人が才能を持っている。その才能を発揮する場所を間違ってる。
得意なことに集中して、不得意なことは専門家に任せる。
僕がやるなんかよりも、得意な人にお願いした方が、お客様が喜んでくれる。
今、幸せですか。

VOICE BEHIND THE VOICE

藤岡さんの原音

対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。

裏方に徹する、という才能

僕がやるなんかよりもすごい短い時間で、ものすごい高いクオリティのものを出していただいて、かつお客様が喜ばれるわけですよね。これだと思った時に、自分がやっちゃダメだと思ったんですね。

──藤岡さんは、もともと独学のデザイナーだった。得意ではないのに、デザイナーを名乗って仕事をしていた。しかし限界を感じ、知り合いに仕事を振ったところ、自分よりも早く、質の高い成果物が生まれた。この経験が、藤岡さんに「自分は作り手ではなく、つなぎ手なのだ」という自己理解をもたらした。人前に立つことがうまくいくことだと思っていた価値観が、ここで静かに反転する。

親の知らない顔を、知る

私の父がちょっと体調を悪くした時に、今まだ健在なんですけど、全然父のこと知らないなと思ったんですよ。

──「親への 100 の質問」誕生のきっかけは、父の体調変化だった。母に紙に書いた質問をぶつけたところ、知らなかった事実が次々と出てきた。この個人的な体験が、そのままサービスの原型になっている。知りたいのに、面と向かっては聞けない。だからこそ第三者が間に入る──ここでも藤岡さんは、当事者同士の間に立つ「つなぎ手」の役割を担っている。

断るのが苦手だからこそ、見つけた仕組み

なかなか経営者の交流会ってたくさんあるんですね。あるんですが、ほとんどの交流会が、仕事をもらいに来てると言いますか、自分を売りに来てる方が多い。

──藤岡さんは、頼まれると断れずに引き受けてしまうタイプだと自認する。そんな自分にとって心地よい場を逆算して考えた結果生まれたのが「発注したい人が集まる交流会」というコンセプトだった。弱みを避けるのではなく、弱みから設計する。ここにも、得意・不得意を軸に物事を組み立てる藤岡さんらしい思考が表れている。

CLOSING

あの日の、一言

得意なことがない人はいない。全ての人が才能を持っている。その才能を発揮する場所を、間違ってるだけだ。

── 藤岡 良亮さんが恩師から受け取った一言

これまでの人生で受け取った、忘れられない一言。収録現場では、改めてそう問いかけた。

29 歳まで会社員として働いていた頃、藤岡さんは何をやっても褒められることがなかったという。仕事を一生懸命やっても結果がついてこず、辞めたくなった時期もあった。そんな時に出会ったのが、藤岡さんが師匠と呼ぶ恩師だった。

話すのが得意でない人が発表の場に立てばうまくいかない。しかし、発表する人を輝かせるための裏方に回ることならできる。人それぞれに得意なことがあり、それを突き詰めていくことが仕事を生かすコツなのだと、恩師は語った。

当時は実績もなく、ただ「なるほど」と思うだけだった。しかし今、会社を経営し、多くのデザイナーやクリエイターと関わる中で、藤岡さんはその言葉の意味を実感として噛みしめている。

得意なことで輝いてもらうことで、皆さんが笑顔で仕事をできるってことを、本当に今実感しながら毎日仕事をさせてもらってます。

人前に立ち、影響を与えることがうまくいくことだと思っていた。しかし実際はそうではなかった。得意なことで人に喜んでもらうことこそが、人生を豊かにする──その気づきが、藤岡さんの事業のすべての土台になっている。