原点 ──「一生勤めます」と言った、4 年後の寿退社
マナーといえば明石さん、と誰もが口を揃える。しかしその原点は、マナーとは縁遠い場所にあった。
日本航空に客室乗務員として入社したのは、青山学院大学を卒業してすぐのことだ。
入社のときの面接では一生勤めますと採用していただいたんですけれども、結婚退職をいたしました。
4 年しか勤めなかった、と明石さんは笑いながら振り返る。けれどこの経歴が、後年「元 CA だから」という理由で、マナー指導の依頼が舞い込むきっかけになる。もっとも、そこにたどり着くまでには、まだ長い道のりがあった。
離婚、新聞広告、そして「後のパソナ」
結婚退職の後、人生は静かに、しかし大きく動いていく。
退職の理由が、子供を抱えて離婚して。日本航空を退職したのは結婚退職、子宝退職だったんですけれども、その後に離婚をいたしまして、改めて社会人としてきちっとしなくてはいけないなというふうな思いが、当然ですがありますよね。
一度は専業主婦になった。けれど、社会参加したいという気持ちが、ふつふつと湧いてきた。
離婚後に自信がなかったので、いわゆる新聞広告で、募集広告に応募いたしまして、人材派遣会社のスタッフとして採用してもらったので、そこでお仕事を、いわゆるオフィスワークの仕事を覚えたということですね。
この人材派遣会社は、のちに株式会社パソナとなる。明石さんはここで役員秘書と新規事業の統括を任され、ベンチャー企業を支援する側の視点を身につけていくことになる。
伸びる会社、伸びない会社 ── 経営者たちを見つめた日々
新規事業の現場で、明石さんは数多くの起業家、経営者を見てきた。メディアに注目されて華々しく船出したのに失速する会社。地味でも着実に事業を拡大する会社。その分かれ目を、金子は尋ねた。
やっぱりトップの器なんじゃないでしょうか。
どんな器か、と重ねて問われると、明石さんはこう答えている。
柔軟性じゃないですか。今の時代は特に環境変化って激しいですよね。その中でどういうふうに対応できるかっていうのを、やっぱりタイムリーにいろいろ聞き取ることができる方が上にいらっしゃると、それは会社としての発展につながるんじゃないかな。
そして、トップ一人の力だけでは会社は伸びないとも言う。
組織を作るということは、自分に足りない部分を補ってくれるメンバーも揃えて、いわゆる強力な会社にすることができますよね。そういうサポートをしてくれるような人をうまく取り込むことができる企業が、やっぱり継続して発展していけるんじゃないかな。
秘書として、支援者として、明石さんは常に経営者の「隣」から組織を見つめてきた。この視点は、後年マナー・プロトコール協会という一つの組織を、自らの手で長く運営していく上での土台になっていく。
父を、自宅で見送る ── 介護退職、そして起業
順調にキャリアを積んでいた明石さんに、次の転機が訪れる。父親が胃がんと診断されたのだ。当時は、今のように介護のための休業制度が十分に整っていたわけでもなく、勤めていたコンサルティング会社も小さな組織だった。
父にいろいろと世話になって、迷惑をかけた両親に対して子どもとしてできることを考えたときに、胃がんと言われたときにやっぱり自宅で見送るという選択をしたいなと思ったので、それで退職して母と二人で父の介護をいたしました。
父を見送った後、もう一度再就職するかどうかを考えたとき、年齢を重ねていたことも重なり、再就職の道は狭い。それならば、と明石さんは腹を決めた。
できるかどうかわからないけれども、ちょっとやってみようかなと思って、フリーランスでまずいろいろ仕事を少しやってみて、しっかりやるんだったら小さい会社でも自分で会社を起こしてやろうかなと思ったんですね。
こうして 1996 年、明石さんは有限会社ブライトンを設立する。最初から大きな会社を目指したわけではなかった。
ちゃんと成果を、生活ができる基盤になるような仕事のスタイルっていうふうに考えていたので、そういう意味では本当に個人会社で、なるべくコストをかけずに、赤字にならないようにというか、そういうようなところだけ気をつけて活動しておりました。
「自信がなかった」── マナーとの出会いと、プロトコールという言葉
元客室乗務員で秘書経験もある明石さんには、周囲から自然とマナー指導の依頼が集まるようになっていた。しかし、本人の実感は違った。
本当にマナーの勉強をしてきたわけではないので、とっても自信はなかったんですよ。
会社の経営が軌道に乗り、生活の基盤ができたころ、知人からマナー・プロトコールの協会を作らないかという話が舞い込む。
最初はうまくいくわけないし、なかなかお給料もいただけないじゃないですか。でも自分の会社のほうで収入があるので、そういう意味ではボランティアも含めて、そういう協会を作るということが面白いかもしれないなと思って、それで参画したんですね。
構想を温めていたわけではなく、誘われて始まった。明石さんは自らの半生をこう総括する。
そんなに人生のビジョンをしっかり考えて、こうやって生きてきたわけではなくて、結構場当たり的に選択してきたみたいなところがあります。
そして「プロトコール」という言葉は、個人会社時代、海外赴任者の家族を支援する仕事に携わった経験から得たものだった。
外国との交流をするにあたっては、いろいろ宗教の問題とかも含めて知っておかなくてはいけない。そういうことを象徴する言葉として、プロトコールっていうのを、これからのグローバルな時代は皆さんにお伝えできればいいかなと思って、マナーにプロトコールをつけて、日本マナー・プロトコール協会という協会名になりました。
マナーが地域や宗教、価値観によって形を変えるのに対し、プロトコールはそれらを超えた「より良い交流のための最大公約数」だと明石さんは説明する。2003 年の協会設立から 20 数年、当時ほとんど知られていなかったこの言葉は、国際大会やグローバルビジネスの広がりとともに、少しずつ浸透してきた。
右と左、そこにある「争わないための知恵」
国際儀礼の話になると、スタジオの空気が変わった。明石さんが語ったのは、誰も意識したことのない「決まりごと」の数々だ。
序列ってすごく大事ですよね。
国家元首同士の会談での立ち位置、写真撮影の並び順、国旗掲揚の順番──それらすべてに序列のルールがある。日本的な感覚では、舞台で言う「上手」は向かって左側が上位とされるが、国際儀礼では逆になる。
外国との交流の中で上位の位置というのは、並んだときの右側になります。
オリンピックの表彰台も同じ理屈だ。中央に金メダリスト、向かって右側に銀メダリスト、左側に銅メダリストが並ぶ。開会式で最初に入場し、国旗が最初に掲揚されるのは、発祥の地ギリシャと決まっている。その後の順番は、国連加盟順やアルファベット順など、大会ごとに基準が定められる。
こうした細部を明石さんが語る理由は、単なる作法の紹介ではない。
そういうルールがなくて、親しいからとか、あの国は国力が強いからとか、そういうのだと、国際儀礼ってうまく回らないですよね。
実際、国際大会で国歌が誤って流されたことに対し、選手が表彰台の上から抗議を示した例もある。国旗や国歌は、その国の威信そのものだからだ。基準が明確であれば、誰もが納得できる。基準がないところにこそ、争いが生まれる──明石さんの語る国際儀礼は、そのための静かな知恵の集積だった。
知識は、自信になる ── コミュニケーションマナー検定の誕生
マナー・プロトコール検定は、3 級・2 級・1 級の 3 段階に分かれている。3 級は 150 問の正誤問題で基礎知識を、2 級は選択・記述問題で応用力を、そして最上級の 1 級は、論述試験に加えて所作振る舞いの実技試験まで課される。これまでの合格者は約 6 万人。1 級取得者は、20 数年でまだ 50〜60 名という狭き門だ。
マナーっていうと、検定のようなもので測れるのかどうかっていうご意見もあると思うんですよね。人柄とか、その人の言動も大事になるので。ですが、やっぱり知識を知らないと、判断の基準がないですよね。
明石さんが繰り返し口にするのは「TPO」という考え方だ。
マナーもプロトコールも、私は TPO だと思っています。相手や状況に応じて、どうすればいいのかを考えて、そこで一番いいと思うことを、言葉や動作、対応に生かしていただく。そのためにまずは、知識も知っていただきたいと思っています。
協会設立 20 周年、そしてコロナ禍を経て、明石さんは新たな検定を立ち上げた。
コロナのときにやっぱり、しきたりも含めていろいろ価値観が大きく変わりましたよね。コミュニケーション力がなくなったって、人と接すること自体にいろいろ制限があったので、もう一度コミュニケーションって何だろうかって考えたんですね。
こうして生まれたのが「コミュニケーションマナー検定」だ。特に、成長期に人と接する機会を制限された若い世代は、人に接すること自体に自信が持てないでいる、と明石さんは感じている。
コミュニケーションもマナーも、正解があるわけでもないんですよ。でもみんな自信がないっておっしゃるんです。何が正解かわからないからって。
その処方箋は、マニュアルの暗記ではない。
自分のコミュニケーションスタイルがどういうものであるかっていうのを、ちょっと確認したりすることで、自信って持てるんじゃないかなと思って。自信ってどう書くかというと、自分を信じることなんですよね。
大学での授業でも、明石さんは学生たちに同じ言葉を伝えている。「知識は財産です」と。
VOICES
名言
知識は財産です。
自信ってどう書くかというと、自分を信じることなんですよね。
コミュニケーションもマナーも、正解があるわけでもないんですよ。
置かれた場所で咲きなさい。
VOICE BEHIND THE VOICE
明石さんの原音
対話の中で、ふと口にした言葉。
編集部が聴き取った、その人の核にある原音。
知識は、財産です
知識は財産です。
──大学の授業で、明石さんは学生たちにいつもこう伝えている。マナーやコミュニケーションに「絶対の正解」はないと語りながらも、知識そのものは揺るがない価値として位置づける。TPO に応じた判断は、知っている選択肢の数だけ豊かになる。知らないから迷うのではなく、知っているから選べる──それが、明石さんが検定という「知識の物差し」にこだわり続ける理由なのだろう。
自信は、自分を信じること
自信ってどう書くかというと、自分を信じることなんですよね。
──コロナ禍を経て、人と接することに自信が持てないという若者が増えたと明石さんは感じている。しかし彼女が示す処方箋は、マニュアルの暗記ではない。自分のコミュニケーションスタイルを確認すること、それ自体が「自分を信じる」ための一歩になる。マナーは他者のためのルールである以前に、まず自分自身を支えるものだという視点が、ここにある。
争わないための、静かな知恵
序列ってすごく大事ですよね。
──国旗掲揚の順番、メダリストの立ち位置、写真撮影での並び方。明石さんが語る国際儀礼の細部は、一見すると些末な作法に見える。しかし、その奥にあるのは「基準が決まっていれば、誰も傷つかない」という思想だ。基準がないところに、争いが生まれる。マナーやプロトコールは、堅苦しい形式である以前に、人と人が気持ちよく共存するための、静かな知恵なのだと分かる。
CLOSING
あの日の、一言
置かれた場所で咲きなさい
── 渡辺和子(元ノートルダム清心学園 理事長)の言葉より
中学・高校がカトリックの女子校だったこともあり、私は学生時代から、渡辺和子先生というお名前と、そのご生涯を存じ上げていました。二・二六事件でお父様を目の前で亡くされ、後にノートルダム清心学園の理事長を務められた方です。ご著書もたくさん手に取ってきましたが、その中でもこの言葉は、私にとって特別なものになりました。
私自身、若い頃からキャリアビジョンをしっかり描いて生きてきたわけではありません。客室乗務員になりたかったわけでも、会社を興そうと思っていたわけでも、マナーの普及をしようと決めていたわけでもない。振り返れば、本当にその時々に与えられた場所で、精一杯やってきただけなんです。
正直に言うと、優秀でもない自分が企業の社外取締役のような役職をいただくたびに、これで本当にいいのだろうかと不安になったこともあります。でもそのたびに、この言葉を思い出してきました。置かれた場所で、精一杯自分の務めを果たすこと。それでいいのだと。
渡辺和子先生ご自身も、決して順風満帆な人生ではありませんでした。それでも「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を残された。だからこそ、この言葉には重みがあるのだと思います。私は今も、そしてこれからも、この言葉とともに、若い方たちにこの本をお伝えし続けていきたいと思っています。